ノンフィクション作家・山田清機氏。週刊朝日連載「大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!」。今回は「やっぱりが好き(かな)」。

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 猫と犬、どちらが好きかという論争は、そもそも触ると毛がつくものが嫌いな大センセイにとってかなりどうでもいいことなのだが、どっちかに決めろと言われたら、猫だろうか。

 いや、正確に言えば、猫の方が好きなのではない。こんなことを書いたらたくさんの日本人を敵に回すことになると思うが、犬の飼い主が嫌いなんである。

 なんと言っても、道路にウンコをさせるのがいけない。もちろん、ちゃんと持ち帰る飼い主の方が多いのだろうが、持ち帰らない一部の飼い主にものすごくモラルの低い人がいるのだ。

 先日も、缶コーヒーが110円で売っている自動販売機に立ち寄ると、商品取り出し口の至近距離に、茶色くてぶっといやつが放置してあった。間一髪、踏んづけずに済んだが、なんというデリカシーのなさであろうか。ちょっと端っこの方にさせようという気遣いや、恥じらいはないんだろうか。

 
 以前も、愛用の自販機の前に何度も放置物件があって、大センセイ、それをどうすれば駆逐できるかに頭を捻ったことがあった。

 考えあぐねて、糞の持ち帰りを促す看板を見て回ったのだが、行政の看板は「困っています」で始まり、その後に「犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう」と続けていた。まあ、穏当というか、普通である。

 個人が掲出しているものには「ここで犬の糞をさせないでください」というのが多いのだが、「犬の糞をさせない」ってちょっと変だ。語呂としてはたしかに「犬の」だろうが、文法的には「犬に」ではないか。

 いろいろ見て回って、一番気が利いていたのは、「犬のフンにフンガイ!」という看板だった。標語の脇に犬が怒っているイラストまで添えてあってなかなかの出来栄えだったが、書き主の「センスいいでしょう」オーラが前面に出過ぎていて、100点満点はあげられない気持ちであった。

 
 では、大センセイ的にはどう書くべきだろうか。

 脳裡に浮かんだのは、以前ニュースで見た放置自転車対策の看板であった。どんな看板を立てても放置自転車を駆逐できなかったどこかのどなたかが、ある看板を出した瞬間、ピタリと放置がなくなったとニュースは伝えていた。そこに書かれていたのは……。

「ここは自転車捨て場です」

 これだ!

 大センセイ、さっそく看板づくりに取り掛かった。だが、制作開始早々ハタと気づいたのである。

「捨て場って書いたら、単にウンコをたくさん捨てられるだけではないのか?」

 自転車は捨てられては困るもの、貴重なものだからこそニュースの看板には効力があったのだ。しかし一般的に、ウンコは不要なもの、臭くて厄介なもの、とっとと捨ててしまいたいものだ。そこに捨て場を提供してしまったら、盗人に追い銭、犬の飼い主にウンコ捨て場になりはしないか。

 
 発想の逆転が必要だった。

 つまり、ウンコを貴重なもの、わが愛犬の体内から出てきた愛しいものだと飼い主に認識させる必要があるのだ。そうすれば、飼い主はウンコを大切に持ち帰り、丁重に葬るはずである。

「ここにウン子ちゃんを捨てないでください」

「子」をつけて擬人化し、さらに貴重なものであることを強調するために、「ちゃん」をつけた。

作戦は見事奏功した。

 ウン子ちゃんの処理さえちゃんとしてくれたら……それでもやっぱり猫が好き、かな。

週刊朝日 2017年12月29日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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