吉田良一郎(よしだ・りょういちろう)(写真左)/1977年生まれ。吉田健一(よしだ・けんいち)/(同右)1979年生まれ。北海道出身。99年アルバム「いぶき」でデビュー。2003年全米デビューアルバム「Yoshida Brothers」をリリース。以来、世界中で演奏活動を続ける(撮影/加藤夏子)
吉田良一郎(よしだ・りょういちろう)(写真左)/1977年生まれ。吉田健一(よしだ・けんいち)/(同右)1979年生まれ。北海道出身。99年アルバム「いぶき」でデビュー。2003年全米デビューアルバム「Yoshida Brothers」をリリース。以来、世界中で演奏活動を続ける(撮影/加藤夏子)

「君たちは将来海外に出て、三味線の魅力を世界中に知らしめる存在になるはずだ。だから、今から英語だけは勉強しておきなさい」

 津軽三味線奏者の初代佐々木孝さんにそう言われたのは、兄の吉田良一郎さんが12歳、弟の健一さんが10歳のときだった。以来、稽古の合間に、2人は英語の勉強を余儀なくされた。

「海外を意識したのは、師匠からの予言めいた言葉もありつつ(笑)、子供の頃から民謡親善大使として、海外で演奏させてもらったことも大きかったと思います。日本だったら盛り上がる曲でも、途中で帰られてしまったり、演奏に飽きていることが露骨にわかるんです」(良一郎さん)

「当時は落ち込みました。でもそこから、僕らの三味線はどうあるべきかを真剣に考えるようになって、覚えやすいサビのあるオリジナル曲を作ることで、大衆に向けて発信することにしたんです」(健一さん)

 デビューしたときは“茶髪に紋付き袴”というプレースタイルも話題になった。すぐ海外には進出せず、まずは日本人に認められようと、4年で3枚のオリジナルアルバムを制作。満を持しての全米進出だったが、待っていたのは茨の道。

「ライブハウスやCDショップでの無料のインストアライブで全米を回りました。でも、なかなか手応えは得られなかった。日本で通用していたのに、海外で通用しない理由がわからず、ただメンタルを鍛えるしかなかった(苦笑)」(健一さん)

 苦しくても続けられたのは、「2人だったことが大きい」と良一郎さんは言う。三味線でデュオというスタイル自体が吉田兄弟オリジナルだが、健一さんによれば、「兄弟とはいえ、僕らはそれぞれの三味線の音色が全然違う。一緒に演奏していても、ちょっとズレが生じる。それが面白い」。デビュー当時は音を合わせようとしていたが、揺れやズレの中に遊びや響きがあることに気づいてからは、むしろ合わせすぎないように心がけているのだそうだ。

次のページ