不況時には「エロ・グロやギャンブルがはやる」との説がある。ビニ本もまさにそうだった。当時は第2次オイルショックで景気は落ち込んでいたのである。

 秘書もの、女教師もの、スチュワーデス(今ならキャビンアテンダントか)の制服もの……。撮影の舞台設定は実にさまざま。拝金主義の風潮が日本中に蔓延していたのだろう。股間を見せるだけでお金になるというので、モデルになる女性を探すのに苦労はあまりなかったそうである。

 まったく修整もない本も現れた。通称「裏本」。当然、ビニ本業界に衝撃が走った。股間を墨で消す「スミベタ」の時代はついに終わりを告げたのである。これによって、ビニ本はさらに爆発的な人気を呼ぶ。「ぼたん」「法隆寺」「金閣寺」など“名著”も登場した。タイトルを見ても中身がわからないのが面白い。ものによっては1冊1万~1万5千円したというが、かなり売れたらしい。

 風俗ライターの伊藤裕作さん(67)によると、ビニ本を出した出版社は30~40社もあり、1カ月に新作が120冊も出た。発行部数は月130万~140万部だったともいわれる。そのうち7割が、いわゆるスケスケの下着「スケパン」の大股開き(下品な言葉で申し訳ない)。残り3割が企画ものだった。

 何がヒットするかわからない。「女子便所」シリーズというものもあったという。キュウリやニンジンなどが出てくる「突っ込み物」と呼ばれたシリーズも人気を集めたらしい。まあ詳しく話をするのは避けよう。当時の流行語で言うなら、「ほとんどビョーキ」状態だったのである。

 新宿・歌舞伎町ではインベーダーゲーム店がこぞってビニ本の販売業に転じた。学生運動やアングラ芝居を続けてきた若者が「性」を文化と考え、ビニ本づくりの現場に積極的にかかわる動きもあった。スポーツ紙や夕刊紙には「三行広告」が花盛り。「歓びを今宵あなたと……」などと怪しいコピーが出回っていた。これもまた活字文化である。

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