春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。JFN系FM全国ネット「サンデーフリッカーズ」毎週日曜朝6時~生放送。メインパーソナリティーで出演中です春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。JFN系FM全国ネット「サンデーフリッカーズ」毎週日曜朝6時~生放送。メインパーソナリティーで出演中です
ようやく寝ついた夜中の1時にブンブンと音が聞こえてきて…(※写真はイメージ)ようやく寝ついた夜中の1時にブンブンと音が聞こえてきて…(※写真はイメージ)
 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「老化現象」。

*  *  *

 布団に入るも、なかなか眠れず、ようやく寝ついた夜中の1時。家内が「なんか変な音がしない?」と不安そうに話し掛けてきた。眠いのになー……音?そう言われてみるとするかも。「耳、遠くなったんじゃないの? ブンブン音がする!」。あー、ホントだ。ブビビ、ブビビと羽音のようなものが聞こえる。「ゴキブリかな?」「やだーっ!!(泣)」。家内が叫ぶ。泣くような年か?と言いたかったが、のみ込む。「よし! 捕まえてやる!」。急に立ち上がろうとしたら、よろけた。柱につかまって、明かりをつける。眩しい!

「ブビビビビビーっ!!」。羽ばたきながら蛍光灯にぶつかり稽古を繰り返す虫が一匹。

「ゴキブリじゃないよ。ホラ……あれ? なんつーんだっけ? ホラ、メスカブトちっちゃくしたような……」。名前が出てこない。「ひょっとして……カナブン?」「そう、カナブンだ!」「なんですぐ出てこないのよ……早く捕まえて!」

 おうともよっ!! 蛍光灯の周りを飛び続けるカナブン。下からアッパーカットを右、左、右と繰り出し続ける私。それを嘲笑うようにかわすカナブン。ものの3分で息が上がる私。動体視力が追いつかない。というか、私に動体視力はあるのか?

 そのうちにカナブンの姿が見えなくなり、羽音も聞こえなくなった。「はぁはぁ……このへんで……勘弁……しといたろ」「背中!背中にとまってる!」「えー!? とって!」「やだやだやだ! ムリムリ! 右肩!」

 右を振り返ると、肩越しにカナブンが顔をのぞいた。こやつ、神妙にしろ! 左手を伸ばすと、あばよ!とばかりにまたブビビ。瞬間、左腕と肩に電流を流したような激痛が走る。

 
「ツッターっ!!」。もう嫌だ。早く寝たい。「虫とり網、持ってきたら? 玄関にあるよ」。人に言うなら自分でやったらいいじゃないか!という言葉をのみ込み、暗いなか階段を下りる。案の定、足を滑らせ階段を踏み外した……。イタタ。

「早く、それで捕まえて!」

 家内がせかすが、網の長さの感覚がつかめない。ぶるんぶるん振り回すと、蛍光灯を直撃。部屋中に長年積み重ねてきた綿ぼこりが舞う。「ゲホゲホ……」。思い切り吸い込んだ。もう嫌だ。ホント早く寝たい。

 しばらくするとカナブンも寝ついたのか、おとなしくなった。

「今のうちだ、寝よう……」

 ダメだ。一度起きたら、なかなか眠れない。結局、明け方までぼんやりしていた。時折、カナブンがカサカサ動いている。気になってしかたない。トイレに3回行った。近いなぁ、トイレ。

 朝、戦のあとの静けさか。「カナブンどっか行っちゃったかな……」と独りぶつぶつ呟きながら朝刊をとりに玄関へ。

「あ、いた」

 玄関マットの上に、ちょこんと乗ったカナブン。「ナイスファイトだったぜ」。昆虫特有の複眼で、私に語りかける。

 右手を差し伸べると、おとなしく私の手のひらの上に乗った。玄関のドアを開け、「ほら、飛んでゆけ……ファラウェイ……」。泣きそうになった私。一晩で涙腺がずいぶんゆるんだ。

 朝食をすませ、コーヒーを飲んで、「なんかおなか減ったね……」とつぶやいたら「あんた、一体いくつよ?」と呆れられた。来年40だ。

週刊朝日 2017年10月6日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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