「“生身の役者が、お客さんの目の前で、自分の肉体を通して人間の持つ本質的な喜劇を表現する”ことにこだわった芝居が多かったので、僕も自由劇場時代には、よく顔を白塗りにして、そういった人物を模索していた。最近そういうのがなくなっちゃったから、寂しくて(笑)。今回、多部未華子ちゃんが演じる主人公のオーランドーは、途中で男から女に変わったり、300年もの時を生きたりします。僕は、エリザベス女王だったり、その他いろんな人の役を演じるんですが、独特の世界観を、ゼロから作り上げなければいけない。何もかもが手探りで、稽古に入ってみると、『あー、19年間こういう感じでやってきたな』と懐かしくなりました。モノを作ることにこれだけ大勢の人の時間とエネルギーをかけられるんだから、舞台って贅沢ですよね。でも、想像していた以上に大変で、今まで日本で上演されなかった理由がわかった気がした(笑)」

 30代のままで300年の時を生きるオーランドーは、常に死に憧れている。「過去と未来の間に支えられて生きている」という台詞があるが、小日向さんは稽古をしながら、「こんな、性別や時空を超えた人間と出会えたら面白いかも。生きている時間の感覚は、人によって違うのかも、と思ったりする」らしい。

 時代も性別も超えられるという意味で、俳優はすべて“オーランドー”かもしれない。偶然や必然。一瞬や永遠。過去や未来。想像と現実。さまざまなめぐりあう時間の中で、俳優たちは生きている。もちろん、俳優でない人たちもまた――。

週刊朝日 2017年9月29日号