彼女の発情期にたまたま…? 「遺伝子残したい」と結婚した人気料理家夫婦の30年

週刊朝日
 妻はフレンチを基本に、やさしく家庭料理を紹介する人気料理家・脇雅世。夫で脇さんのマネジメントやプロデュースをしている加藤修司を選んだ理由は「自分の遺伝子を後世に残したかったから」だと笑う。二人の話を聞いていると、あながち“照れ”だけでもなさそうで……。

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――妻は1977年、短大卒業後に「料理を本格的にやりたい」とフランス留学を決意。夫も大学生活に行き詰まって、付き合っていた彼女にも失恋して、「人生を全とっかえするか!」と、同時期に海外に飛んだという。妻はル・コルドン・ブルー・パリ校を経て、フランスで修業を積む。84年に帰国してすぐ、京橋千疋屋の商品開発部門にヘッドハンティングされた。夫は帰国後にテレビ番組やビデオの映像制作の仕事に就き、多忙な日々を送っていた。

夫:僕らはほぼ同い年で、ちょうど同じころ日本を飛び出したんです。彼女はフランスへ、僕はアメリカへ。

妻:出会う10年くらい前のことで、当時はお互いを知るよしもなかったんですけれど。20代でえいや!っと日本を飛び出した

――1977年、短大卒業後に母の喫茶店を手伝っていた妻は「料理を本格的にやりたい」とフランス留学を決意する。

妻:子どものころから物を作ったりすることには興味があったんです。お客さんにサンドイッチやスパゲティを作っているうちにどんどん面白くなって、料理を極めたいなと思った。

夫:でも本当は日本料理がやりたかったんでしょ?

妻:そう。でも女性が和食の厨房に入れる時代ではなかった。それに70年代後半はまだ洋食の情報も少なくて、フランス料理の本を読んでもシャンピニオンとマッシュルームの違いもわからない。それなら現地に行ってみよう!って。

夫:僕は当時、「何をしたいのか」と大学生活に行き詰まって、付き合っていた彼女にも失恋して。「人生を全とっかえするか!」と海外に飛んだ。

妻:まだ海外留学がそれほどメジャーでなかった時代ですからね。「えいや!」という感覚はお互い似たようなものだったと思います。

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