彼女の発情期にたまたま…? 「遺伝子残したい」と結婚した人気料理家夫婦の30年 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

彼女の発情期にたまたま…? 「遺伝子残したい」と結婚した人気料理家夫婦の30年

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日

脇雅世(わき・まさよ)(右)/1955年、東京都生まれ。短大卒業後、77年に「ル・コルドン・ブルー・パリ校」に留学し、パリで修業を積む。帰国後、NHK「きょうの料理」などに出演し、料理家として活躍。60冊以上の料理本を出版している。著書に『料理をおいしくする切り方のひみつ』(NHK出版)など。2014年、フランス政府から農事功労章を受勲。加藤修司(かとう・しゅうじ)(左)/1956年、東京都生まれ。中央大学文学部を中退後、77年にニューヨーク州立大学オニオンタ校、トリニティー大学大学院で演劇を専攻。帰国後、映像ディレクターとしてテレビ番組やビデオ制作を経て、2000年に妻・脇雅世さんと株式会社トワ・スールを設立。脇さんのマネジメントやプロデュースを行っている。(撮影/写真部・大野洋介)

脇雅世(わき・まさよ)(右)/1955年、東京都生まれ。短大卒業後、77年に「ル・コルドン・ブルー・パリ校」に留学し、パリで修業を積む。帰国後、NHK「きょうの料理」などに出演し、料理家として活躍。60冊以上の料理本を出版している。著書に『料理をおいしくする切り方のひみつ』(NHK出版)など。2014年、フランス政府から農事功労章を受勲。
加藤修司(かとう・しゅうじ)(左)/1956年、東京都生まれ。中央大学文学部を中退後、77年にニューヨーク州立大学オニオンタ校、トリニティー大学大学院で演劇を専攻。帰国後、映像ディレクターとしてテレビ番組やビデオ制作を経て、2000年に妻・脇雅世さんと株式会社トワ・スールを設立。脇さんのマネジメントやプロデュースを行っている。(撮影/写真部・大野洋介)

 妻はフレンチを基本に、やさしく家庭料理を紹介する人気料理家・脇雅世。夫で脇さんのマネジメントやプロデュースをしている加藤修司を選んだ理由は「自分の遺伝子を後世に残したかったから」だと笑う。二人の話を聞いていると、あながち“照れ”だけでもなさそうで……。

*  *  * 
――妻は1977年、短大卒業後に「料理を本格的にやりたい」とフランス留学を決意。夫も大学生活に行き詰まって、付き合っていた彼女にも失恋して、「人生を全とっかえするか!」と、同時期に海外に飛んだという。妻はル・コルドン・ブルー・パリ校を経て、フランスで修業を積む。84年に帰国してすぐ、京橋千疋屋の商品開発部門にヘッドハンティングされた。夫は帰国後にテレビ番組やビデオの映像制作の仕事に就き、多忙な日々を送っていた。

夫:僕らはほぼ同い年で、ちょうど同じころ日本を飛び出したんです。彼女はフランスへ、僕はアメリカへ。

妻:出会う10年くらい前のことで、当時はお互いを知るよしもなかったんですけれど。20代でえいや!っと日本を飛び出した

――1977年、短大卒業後に母の喫茶店を手伝っていた妻は「料理を本格的にやりたい」とフランス留学を決意する。

妻:子どものころから物を作ったりすることには興味があったんです。お客さんにサンドイッチやスパゲティを作っているうちにどんどん面白くなって、料理を極めたいなと思った。

夫:でも本当は日本料理がやりたかったんでしょ?

妻:そう。でも女性が和食の厨房に入れる時代ではなかった。それに70年代後半はまだ洋食の情報も少なくて、フランス料理の本を読んでもシャンピニオンとマッシュルームの違いもわからない。それなら現地に行ってみよう!って。

夫:僕は当時、「何をしたいのか」と大学生活に行き詰まって、付き合っていた彼女にも失恋して。「人生を全とっかえするか!」と海外に飛んだ。

妻:まだ海外留学がそれほどメジャーでなかった時代ですからね。「えいや!」という感覚はお互い似たようなものだったと思います。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい