荻上:なるほど、カメラの目線が低いと感じた理由がわかりました。

 映画の中で、少女たちそれぞれに「見なければよかったものを見てしまった」と感じるシーンがあります。たとえばソンが、自分ひとりだけ友達の誕生日パーティーに呼ばれなかったことに気づく。両親と別居生活しているジアであれば、遊びに行ったソンの家で、母親に甘えているところを目にする。ソンはそのことに気づいてはいない。そういった小さな出来事から関係がきしんでいく、心の微細な変化を丁寧に描かれています。それはユン監督が先ほど話された子供たちとのやりとりの中から生まれてきたものなのでしょうか?

ユン:子供たちが仲良くなった後に破局を迎えるという物語の軸となる部分は変えていませんが、撮影のときには子供たちに「こういうときには、どうする?」と確認しながらやっていきました。わたしが子供たちをずっと見てきて、気づいたものを取り入れた部分もあります。ただ不思議なことに、わたしが子供だったときに起きていたことと、いま子供たちが体験していることはほとんど変わらない。繰り返されているのだという印象を持ちました。

荻上:観ていてもどかしく感じたのは、もっと早くに親や教師が気づいて手を打っていれば、こんなにふたりの関係がこじれることはなかったかもしれないということです。

ユン:そうですね。子供たちに、こういう問題があったときに「両親や先生に相談する?」と聞くと、「話さない」と言うんですね。言えない環境がある。「お母さんにも相談しないの?」とソン役の子供に聞いたら、「心配するから」とか「助けてもらえそうにないから」という。親子でも、友達の間でも、胸の内を明かせないということがあるのでしょうね。

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