宮里藍 (c)朝日新聞社
宮里藍 (c)朝日新聞社
引退会見の最後のあいさつで涙ぐむ宮里藍 (c)朝日新聞社
引退会見の最後のあいさつで涙ぐむ宮里藍 (c)朝日新聞社

 今季限りで引退するプロゴルファー宮里藍(32)が、フランスで開かれる今シーズンの海外女子メジャー最終戦、「エビアン選手権」に臨んだ。最終日(17日)を2バーディ、4ボギーの「73」で終え、32位。最後のパーパットを沈めると、宮里は「お疲れさま、と(自分に)声を掛けてあげられたら」と涙ながらに語った。

【写真】引退会見で涙ぐむ宮里藍

 この大会は宮里がアメリカに渡って最初に勝利した大会だ。大会前の会見では「思い入れのある試合。これ以上ない舞台」と意気込みを語った。

 宮里が渡米したのは、2006年。朝日新聞スポーツ部の畑中謙一郎さんは、当時を振り返る。

「とにかく日本での藍ちゃんフィーバーがすごかった。彼女は米国で戦いたいという気持ちだけでなく、日本の環境から避難したいという思いもあったと思う」

 だが、米国でも常に日本のメディアがついて回った。米国では女子ツアーは男子に比べ、認知度が低い。宮里の周辺だけが目立った。

「ほかの選手に迷惑をかけてしまうという気持ちがあったと思います」と、プロゴルファーの村口史子さんは、当時の宮里の気持ちをこう推し量る。

「だからこそ、周りに溶け込もうと一生懸命でした。そのおかげで、ほかの選手とも仲良くなった。カリー・ウェブ選手は特に気にかけていて、宮里選手も“先生”と呼んで頼っていましたね」(村口さん)

 同世代のロレーナ・オチョアやヤニ・ツェン、ポーラ・クリーマーといった選手とも交流が生まれた。

「アメリカの女子プロゴルフ協会(LPGA)は、宮里選手の活躍を望んでいた。日本人スタッフを雇ったほどです」(畑中さん)

 宮里は米ツアーで岡本綾子プロに次ぐ9勝という成績を残し、10年には日本人初の世界ランキング1位に。12年にはマナーのよい模範的な選手に贈られる「ウィリアム&モージー・パウエル賞」をアジア選手として初めて受賞した。

 高校生の時から活躍していた宮里に憧れ、プロを目指す子どもが増えるなど、日本の女子ゴルフ界への貢献度は大きい。日本LPGAのティーチャー・オブ・ザ・イヤーを受賞した菅野仁美さんは、「一番大きいのは、アマチュアとプロの壁をなくしたこと」と話す。

次のページ