その少し前、利尻島の大会で中野さんはいい感触を得ていた。共に出場していた友人が心配になり、ゴールから逆走して迎えにいった。15キロほど戻った地点で見つけ、伴走して10時間の制限時間内にゴールした。つまり55キロプラス15キロの往復で85キロを10時間で走ったことになる。

「これならサロマ湖の100キロを走れる」

 結局、サロマ湖は12時間30分で無事に走り切った。
強みは、ペース配分の正確さ。区間キロ何分で走れば無理なくゴールできるか、計算し、そのとおりに走る。無謀に思えた100キロも計算した上での出場だった。

 現在は義妹と2人暮らし。普段は多摩川の土手や河川敷を中心に練習し、月に200キロ走る。週3日、介護施設でリネン係の仕事をしているので、通勤ランもする。オートクチュールの店のパタンナーだった中野さんは、55歳で退職してリフォーム店を開き、73歳で閉めた後はシルバー人材センターで見つけたこの仕事を続けている。

「大会は旅費、参加費が結構かかりますから働かないと。やはり次の大会がやる気につながりますね。自分はこれという楽しみがあれば、いやなことも我慢できるし、他人と比べて卑屈になることもありません」

 当面の目標は来年9月にスペインで開催されるマスターズの世界大会出場。夢は3年後の東京五輪にある。

「両親が福島県の相馬出身なので、聖火を持って相馬を走れたら幸せです」

(ライター・仲宇佐ゆり)

週刊朝日 2017年9月22日号