こちらは、つらいリハビリ生活の始まりだった。立ち上がるために、ベッドに座って手すりを触ることだけから始めた。一人で杖をついて歩く練習をしたり、トレーナーと一緒に腹筋運動やスクワットを100回ずつ行ったり。並行して言葉のリハビリも行い、倒れてから10カ月後にラジオの生番組に出演し、その1カ月後にはテレビの公開収録で歌声を披露した。その後も着実に回復し、今年3月には3年前に開く予定だった45周年コンサートを「復活祭」としてやり直すまでになった。

 しかし、左半身が動かないため、孝さんは車いすの生活だ。

「毎日の生活そのものがリハビリなんです。こうやって話をするのも。車いすに座っていると、体重の重みでお尻が痛くなってくるけど、それを経験するのもリハビリなんです」

 弟の進さんは毎月、定期的に血液検査を行い、がんが再発していないかを調べている。

「手術してから3年経ち、主治医の先生は『もう大丈夫』と言ってくれますが、毎月、ヒヤヒヤものです。検査結果でセーフがわかるたびに、『良かった』とホッとします」

 発病から復活までの軌跡に加えて、本には48年に及ぶビリー・バンバンの「歴史」もつづられている。

 2人は作曲家の故・浜口庫之助さんの弟子だった。浜口さんが作りマイク真木が歌ってヒットした、元祖フォークソングの「バラが咲いた」。この歌を最初に歌ったのは、マイク真木ではなく2人だったという。孝さんが言う。

「デビュー前、先生から『フォークソングとは何だ』と聞かれたので、長引くベトナム戦争を背景に、花がきれいとか、女性が美しいとかを歌って平和を訴えるものですと説明したんです。しばらくすると先生に呼ばれて、『できたから歌え』とおっしゃいます。それが『バラが咲いた』でした」

 いいちこのCMソングを手掛けるようになったのは、いいちこをプロデュースするアートディレクターの河北秀也氏と進さんの出会いがきっかけだった。

「いいちこのポスター展が東京・銀座であって、そのイベントに呼ばれて『白いブランコ』など数曲を歌ったんです。すると、河北さんが僕のところへ来て、『あなたの声は、いいちこの透明感のあるイメージとぴったり一致する。ぜひ一緒に仕事をさせてほしい』とおっしゃったんです。それがすべての始まりでした」(進さん)

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