なぜ8月に入り、反則投球の宣告となったのか……。写真は西武菊池(c)朝日新聞社
なぜ8月に入り、反則投球の宣告となったのか……。写真は西武菊池(c)朝日新聞社

 二度の反則投球を指摘され、投球フォームの変更を余儀なくされた西武の菊池雄星。西武の元エースで監督経験もある東尾修氏は審判の回答に苦言を呈する。

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 8月31日の楽天戦で、西武の菊池雄星が2失点の完投勝利で自己最多の13勝目を挙げた。過去2試合、2段モーションの反則投球を宣告され、投球フォームの修正を余儀なくされる中での1勝。相当心配していたが、本人の「あのフォームだったから勝っていたと言われるのは嫌だったので勝ちたかった」という言葉を報道で知って、エースとしての意地を感じた。

 雄星はセットポジションに入った時に両足の幅が相当に広いため、右足を上げ、軸足の左足に体重をしっかり乗せるために距離と時間がかかる。読者のみなさんも大きく足を開いて、片足を上げて軸足に乗せる動きをしてみてほしい。軸足1本で立つには、相当勢いよく足を上げないと軸足への体重移動ができないと思う。雄星はその時間と距離を稼ぐため、右足で反動をつける形になっていた。私は1試合前の8月24日のソフトバンク戦に解説で球場にいたのだが、修正するならば、セット時の両足の幅を肩幅より狭くすべきだと指摘した。完投勝利を挙げた楽天戦ではしっかりと両足の幅が狭くなっていて、右足がすっと上がるようになっていた。

 本来、投球フォームというのは大幅に変わるものではない。ただ、剛球投手ならば、より力の伝わる形を模索する。反動をつける形に徐々に変化してしまったのは雄星が悪いし、それで反則投球をとられるのは仕方がない。

 ただ、私が感じたのは、1回目に反則投球をとられた8月17日の楽天戦の後の審判団の説明だ。西武の質問に対し「審判の判断による」とした。2度目の反則投球の後にようやく「何度も注意していた」との経緯が明かされたが、なぜ1度目の時に西武側にもそう回答しなかったのか。説明していたのであれば、なぜ西武の辻監督やフロントが2度目の時に怒ったのか。最初からキチッと説明していれば、2試合連続で2段モーションの指摘を雄星自身も受けなかったはずだ。

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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