ミックと喧嘩してでもキースが欲しがった伝説サックス奏者 (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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ミックと喧嘩してでもキースが欲しがった伝説サックス奏者

連載「知新音故」

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小倉エージ週刊朝日
(左から)ミック・ジャガー、ミック・テイラー、キース・リチャーズ。1人おいて、ジム・プライスに抱き上げられるボビー・キーズ

(左から)ミック・ジャガー、ミック・テイラー、キース・リチャーズ。1人おいて、ジム・プライスに抱き上げられるボビー・キーズ

「ブラウン・シュガー」などの名演で知られるボビー・キーズ

「ブラウン・シュガー」などの名演で知られるボビー・キーズ

『“6人目のストーンズ”と呼ばれた男~ボビー・キーズ・ストーリー』

『“6人目のストーンズ”と呼ばれた男~ボビー・キーズ・ストーリー』

 ボビーはキースとオフ・ステージでも行動をともにし、ハメを外すことも少なくなかった。「トラブルに巻き込まれるのも一緒だった」というボビーの言葉がそれを物語る。

 そんなボビーもストーンズから遠ざかることになる。キースが語るには、リヨンのホテルから出発する日、ボビーの部屋をのぞくと、彼はドン・ペリニヨンでバス・タブを満杯にして女性と遊びほうけ、「俺は行けない」と言ったとか。ボビー自身はストーンズから離れた理由を「音楽に集中できなくなったんだ。ドラッグ依存症だったから。人生の時間を無駄にした」と話している。

 その後、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、ジョン・レノンとの思い出なども明らかにするが、やがて仕事がなくなり、故郷のテキサスへ。そこで活動をともにしたジョー・イーライとの話や、ストーンズへの復帰を拒むミックに対し、再び迎え入れたいと画策し続けたキースとの友情物語には胸を打たれる。

 89年のツアーの際、ボビーを呼び出したキースにミックは怒り、2人は大喧嘩をしたという周辺の証言も面白い。結果的にミックの許しを得てボビーは復帰する。以後、ストーンズに欠かせぬ一員として広く認識され、さらなる名声を得たわけだが、2014年12月に帰らぬ人となった。肝臓癌だった。

『“6人目のストーンズ”と呼ばれた男~ボビー・キーズ・ストーリー』は、ボビーの波乱に満ちた人生はもちろん、60年代後期から70年代初期のロック・シーン、とりわけストーンズの足跡や知られざるエピソードなども収録した興味の尽きない作品だ。(音楽評論家・小倉エージ)

●『“6人目のストーンズ”と呼ばれた男~ボビー・キーズ・ストーリー』(ヤマハミュージックエンタテインメント YMBA―10683)


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小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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