──なんという不思議な偶然! でも旅の終わりはまだ早いのでは……。

「旅の終わりは死だからね。77歳なんていつ死んでもおかしくないじゃない。そういうことを考えてる時期に、アタシを神輿(みこし)に乗せて担いでくれる女たちがどんどん増えてきたから、ツイてるんだよ。それでせっかくだから、『私写真家宣言』をして私写真こそが生きてることだって言った手前、本当にそう思える写真を撮り続けてきたかどうか確かめてやろうと思ったの。今まで自分の写真を見返すことなんてなかったんだけどね。愛情というシャッター音を相手に響かせているかどうか、相手が響き返しているかどうか。それを確かめるためにこれだけ大きな展覧会をやったんだけど、全部見返してみて思ったね。やっぱり写真は荒木が一番だ!って。ハハハハ」

──人も空も花も、愛情を返してくれていた?

「そういう気がしたね。だって空にも花にも、お互いの秘密まで写ってるんだから。面白いと思ったのは、撮ってから10年、20年経ち、当時と違う見方ができる写真があったこと。たとえば陽子が舟でゴザに寝ている写真あるでしょ。下町では死者をゴザに寝かせるから、あれは三途(さんず)の川を渡っている完全な死の写真だと思ってたわけ。ところが今見るとさ、あれは胎児なんだよ。生まれたばっかりで生に向かってる写真なの。だからこの写真展のタイトルの最後に『1971─2017─』と『─』を入れたんだよ。旅はまたはじまるの」

──「─」はそういう意味だったんですね。生に向かっているという意味では、「写狂老人A」展の「大光画」シリーズの迫力ある人妻ヌードもまさに生命力にあふれています。陽子さんの写真とあわせてみると、生と死のコントラストのように感じました。

「陽子は死に神度が高いけど、人妻のほうは女神度が高いからね。あれは10年以上続いている『週刊大衆』の連載なんだけど、応募の数がすごいのよ。太っている女性も年とった女性もいて、週刊朝日の表紙に出るスタイルのいい女子大生とは比較にならないけどさ。アタシは『生きてる』ってことを中心にしてるから、みんな魅力あるんだよ。旦那には内緒で脱ぐ人が多いけど、アタシと同い年だからって旦那に勧められてきた77歳の女性もいるからね(笑)。堂々と脱いだ女性には存在感がある。“女在感”だね。でもよくよく見ると、ちょっとした恥じらいや照れが残ってるでしょ。それがちらっと見えるのがアタシが狙ってる女っぽさなの。そこをうまく引き出すために背中を押してあげるのがアタシの役目。だからアタシの写真っていうのは切ない真実、『切実』なんだよ」

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