スタートを切った大阪桐蔭の「最強世代」 (c)朝日新聞社
スタートを切った大阪桐蔭の「最強世代」 (c)朝日新聞社

 広陵(広島)の中村奨成という逸材が見つかった今夏の甲子園。しかし、週刊朝日臨時増刊「甲子園」でも執筆したスポーツライター・柳川悠二が注目したのは、大阪桐蔭(大阪)のこれからだ。

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 この夏、最もショッキングなゲームセットは、8月19日の3回戦、仙台育英対大阪桐蔭だった。

 春夏連覇を目指す大阪桐蔭が1点をリードして迎えた九回裏、2死一、二塁。ショートにゴロが飛ぶ。泉口友汰が無難に処理し、一塁手の中川卓也へ送球した。誰もが大阪桐蔭の勝利を確信した瞬間だった。

 野球部内の競争が激しい今春の選抜王者にあって、2年生の中川は、西谷浩一監督の信頼が厚く、大阪大会から不動の「3番・一塁」を任されてきた。この日の唯一の得点も、「ミート力では2年生で一番」と指揮官が評価する中川の殊勲打だった。

 しかし、泉口からの送球を捕球した中川はベースを踏み損ね、慌てて踏み直したが、一塁塁審が大きく腕を広げ、セーフをコールした。その直後、仙台育英・馬目郁也の逆転サヨナラとなるタイムリーが飛び出し、大阪桐蔭の連覇の夢は途絶えた。

 試合後のインタビュールームには、3年生の嗚咽(おえつ)が響き渡っていた。中川はグラウンドでは泣き崩れていたが、インタビュールームでは涙をぐっとこらえ、茫然(ぼうぜん)自失となりながらも言葉を振り絞っていた。

「心の整理がつかず、負けたという実感がありません。ベースを見ずに捕球してしまいました」

 実は七回の守りで、中川は走者と交錯し、右足のふくらはぎを痛めていた。走者と再び接触する恐怖心が、九回の守りにも影響したのではないか──。そういう記者の指摘を、中川は即座に否定した。

「自分の実力不足です。アウトあと一つというところで、焦ってしまいました」

 エースの徳山壮磨に代わって、先発を任された2年生の柿木蓮が好投し、勝利をほぼ手中に収めながら、最後、こぼれ落ちた。大阪桐蔭ナインのあまりに残酷な結末を見て、脳裏に浮かんだのは、1998年の横浜・松坂大輔と2012年の大阪桐蔭・藤浪晋太郎の姿だった。

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