カミーロ・ゲバラ・マルチ/1962年生まれ。国立ハバナ大学法学部卒。弁護士の資格を持つ。チェ・ゲバラ研究所コーディネーター(撮影/写真部・片山菜緒子)
カミーロ・ゲバラ・マルチ/1962年生まれ。国立ハバナ大学法学部卒。弁護士の資格を持つ。チェ・ゲバラ研究所コーディネーター(撮影/写真部・片山菜緒子)

 チェ・ゲバラが広島を訪れていたことをご存じだろうか。キューバ革命成就から半年後の1959年7月、使節団として訪日。カメラを携え、平和記念公園でシャッターを押した。その時を含め、ゲバラが世界中で撮った写真の展覧会が日本で初めて開催。ゲバラの息子、カミーロ・ゲバラ・マルチ氏に話を聞いた。

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「父は原爆投下がもたらした出来事に衝撃を受けた。その後、一丸となって進歩や発展を目指した日本人の決意とストイックさにも感銘を受けていました」

 と、カミーロ氏は話す。ゲバラが広島から妻と娘に出した絵はがきには、「ここには絶対に忘れてはいけないことがある」と書かれてあったという。

「子どものころに見て強烈に印象に残りました」

 カミーロ氏は、チェ・ゲバラの長男。今回日本での写真展開催に全面協力した。ゲバラが世界中で撮影した膨大な写真から240点を選んだ。

「父は見栄えのいい構図を狙うのではなく、純粋に撮りたいと感じたモノ、瞬間を写した。写真にも彼の平和・平等の思想が表れていると思います」

 カミーロ氏に父と過ごした記憶はほとんどない。

「父は旅に出る前に必ず僕たちにテープレコーダーで自分の声を録音してくれました。『悪い言葉を使うと、ワニに食べられちゃうぞ』など、教育的なお話を作って聞かせてくれているものもある。遠くからでも子どもたちを正しい道に導こうとしていたのでしょう」

 67年、ゲバラはボリビアでのゲリラ戦で政府軍に殺害された。享年39。カミーロ氏は5歳だった。

「母から父の死について聞かされましたが、よく覚えていません。昔は父と比較されるのがいやでした。どの家のリビングにも父の写真が飾られているのは、複雑なものです。母からは『あなたはお父さんにどこも似てないわ!』とよく怒られました。僕はやんちゃ坊主だったので(笑)」

 現在はチェ・ゲバラ研究所のコーディネーターとして、父の足跡と思想を世界中に広めている。「政治には興味がない」と笑うが、自国とアメリカの関係については思うところがある。オバマ政権時代、キューバと米国は54年ぶりに国交を回復。しかし、トランプ大統領は、再びキューバへの対立姿勢を強める発言をする。

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