感想は、意外と心地よく、狭さを感じなかった。

 ただ、蓋が閉められ、(蓋には顔の部分に窓がないため)、真っ暗闇の世界になる。その瞬間、「燃やされてしまう!」と突然不安になった。そのまま自分が火葬場に行くような気分になった。それぐらい隔離された感覚があった。

 その思いを打ち消すように、蓋をされた向こう側から、自分の親友が詠み上げる弔辞がかすかに聞こえてくる。

 声は小さいのに、ところどころ、「ありがとう」とか「お疲れ様」とかそんなフレーズだけが大きく響くように聞こえる。

〈ああ、死んだ時ってこんなふうに弔辞が耳に届くんだな……〉

 臨死体験をした人の本を読むと、自分の死後は、しばらく天井の上に魂が漂って上から、悲しむ人の姿を見るとあるが、おそらく人は棺おけに入っていても、意識はまだあって、こんなふうに自分の死を悼む人の声を聞いたり、上からぼんやり見下ろしているのだろうか。そんなことを考えた。

 イベントで一緒に棺おけに入った独身女性(41)はこんなことを話してくれた。

「私は、社長が弔辞を読むというシチュエーションで行いました。しかし、自分で書いた理想とする弔辞は、かなり今の自分とは違う人物像になりました。『無理そうなことでも、なんにでもチャレンジして決して諦めない人だった。一緒に働けてよかった』という弔辞なのですが、実際はそんなことはない。むしろ『できることを地味にするタイプ』です。どういう葬儀をしたいか、ということだけではなく、今どう生きていたいのか、ということを短いなりに考えました」

 彼女は棺おけから出た後もしばらく涙を流していた。

 死ぬことを考えることは、どう生きるかを逆から考えるようなものだ。

 3度も「入棺」体験イベントに参加した自営業の女性(27)はこう話した。

「1回目は緊張して入った。2回目は冷静でいられた。3回目の今回ようやく自分の心境を再確認できた。入れば入るほど、深みが出るのかもしれない」
 
 神奈川県横須賀市で介護支援専門員として福祉の仕事に携わる女性(48)は「この入棺体験を通して、地域で何か取り込みたい」と語る。

 パート主婦(45)も、「棺おけの中で、拡がりを感じた。母親の胎内にでも戻ったかのような感じがした。自分が違う宇宙空間にいたような。なんともいえない感覚だった。お葬式のあり方も考えるきっかけになった。誤魔化しがきかない場でもあるし、背負ってきたものが見える場だった」と話した。

 同イベントでは、棺おけに入る前に、二人組になって、「Who are you」をテーマに、あなたは誰?あなたの趣味は?あなたって何?などと、聞き合うワークも行う。

 自分自身を見つめることが大事、と考える主催者側の考えを示すもので、この「入棺イベント」は、単なる葬送儀式や死を考える、という以上に、「自分の人生とは」を考えさせる深いものであることは間違いない。

 死ぬことを恐れ、タブー視するのではなく、普通にやってくる人生のイベントの一つとして捉え、それに向かって、物質的にも精神的にも準備をするということは、大事な生き方であり、後悔のない最期につながるかもしれない。棺おけも、機会があれば、生きているうちに一度入ってみてはどうだろうか。(本誌・大崎百紀)

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