A:選抜は怪物・江川卓(栃木・作新学院)の60個(1973年に記録)。夏は板東英二(徳島商)の83個(58年に記録)。当時の板東は快速球を投げる剛腕投手として鳴らし、大会の注目株。準々決勝の引き分け再試合を含め、決勝まで投げ切り、半世紀以上破られない大記録を作った。ちなみに板東に次ぐのが早稲田実(西東京)・斎藤佑樹の78個(2006年に記録)、3位は桐光学園(神奈川)・松井裕樹の68個(12年に記録)。

Q:台湾の高校が初出場で準優勝したってホントなの?
A:戦前は日本が統治していた台湾、朝鮮、旧満州などの学校が全国大会に参加していた。第17回大会(1931年)に初出場した台湾代表の嘉義農林は快進撃し、決勝で中京商(愛知・現中京大中京)に惜敗するも、初出場で準優勝という快挙を達成。このほか第12回大会(26年)で大連商(現中国)が準優勝している。

Q:甲子園の準決勝、決勝と2試合連続でノーヒットノーランを達成した投手は誰?
A:第25回大会(1939年)で優勝した海草中(和歌山・現向陽)の嶋清一は、豪速球を武器に全5試合を完封。しかも準決勝、決勝では2試合連続のノーヒットノーランという偉業を達成した。その後、明治大に進学した嶋は、学徒動員で出陣して帰らぬ人に。伝説の大投手として球史に語り継がれている。

Q:大会史上唯一、延長でノーヒットノーランを達成したのは王貞治?
A:早稲田実(東京)の王貞治は、2年生エースとして第39回大会(1957年)に出場。2回戦の寝屋川(大阪)戦では、投手戦を展開して両軍無得点のまま延長戦に入る。11回表に早稲田実が1点勝ち越し、その裏を王が抑えて史上唯一の延長戦ノーヒットノーランが実現した。(構成/内山賢一)

週刊朝日増刊「甲子園2017」より