渡辺美里(わたなべ・みさと)/1966年生まれ。85年デビュー。86年「MyRevolution」が大ヒット。同年、女性ソロシンガー初の西武球場公演を成功させてから20年連続公演達成。ラジオパーソナリティー、ナレーター、ミュージカルなど、幅広い分野で活躍(撮影/岡田晃奈)
渡辺美里(わたなべ・みさと)/1966年生まれ。85年デビュー。86年「MyRevolution」が大ヒット。同年、女性ソロシンガー初の西武球場公演を成功させてから20年連続公演達成。ラジオパーソナリティー、ナレーター、ミュージカルなど、幅広い分野で活躍(撮影/岡田晃奈)

 新曲「ボクはここに」の歌詞を読んだ瞬間、「これは私のことだ」と渡辺美里は思った。2番の「青春は遠ざかるくせに 大人になった気になれないのは何故」という言い回しが、ストンと腑に落ちた。

「真心ブラザーズの桜井秀俊さんに、『渡辺美里・シングル・夏の曲』というお題だけで依頼したんです。桜井さんとは面識もほとんどなくて、20年ぐらい前にライブにお邪魔したときにご挨拶をした程度(苦笑)。でも、桜井さんの書かれる曲の世界観はずっと好きでした。景色がしっかりと浮かんできて、誰にとっても、自分自身の日常と重ね合わせることができる情景が連写されている。今回も、夏っぽくて切ないけれど、どこか乾いた空気が感じられる素敵な曲が上がってきて……。曲の世界観に自分を乗せていく作業が好きなので、こういう曲を歌えるのは、ボーカリスト冥利に尽きます」

 一昨年にデビュー30周年を迎えた。インタビューの際、「この30年を一言で表すと?」などと無茶な質問をされ、面食らったことも。

「順調にかっ飛ばしてきた時期もあれば(笑)、もがき苦しんで、匍匐(ほふく)前進しながら進んだときもあります。とにかく、たった一度の自分の人生を自分でちゃんと認めてやりたいという一心で進んできたので、30年を一言で言い表すことなんかとてもできない(苦笑)。そのときは、『オーディナリー・ライフ』という曲の、『ココロの声に身を任せながら(中略)ずっと咲き続けよう』という歌詞に、30年分の思いを込めました」

 新曲のキーワードは“青春”だが、それを単なるノスタルジーとは解釈したくないと思っているという。

「昔を懐かしんで泣けるというより、私は、この曲を歌うことで感情が浄化されていく感覚があります。世間では、ミュージシャンっていつまでも“青春”していても許される仕事だと思われてますよね? 実際、去年丙午生まれのアーティストで集まってライブをしたんですが、トータス松本さんも田島貴男さんも斉藤和義さんも怒髪天の増子直純さんも、みんな50歳にしてやんちゃ盛り(笑)。私自身、音楽って、やればやるほど面白いと思っているし、“もっともっと”という意欲は、いくつになっても枯れないんです。ずっと、クリエーターの想像力を掻き立てられる存在であり続けたい」

 デビュー当時のキャッチコピーは、「ロックを母乳に育ちました」。表現の根本には、洋楽のロックからの影響が大きいが、“渡辺美里オリジナル”の部分は、その“声”と“歌詞に込めた情緒”にある。

「亡くなった祖母が京都に住んでいて、俳句をやっていたんです。私の実家には、季節の変わり目に七夕や焚き火をテーマにした句を書いた短冊が送られて、それを読むのが楽しみでした。今も、自分で詞を書くときは、かならず季節を盛り込みます」

週刊朝日  2017年8月18-25号