西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】(巻第一の24)
四民ともに家業をよくつとむるは、
皆是(これ)養生の道なり。つとむべき事をつとめず、
久しく安座し、ねぶり臥す事をこのむ、
是大(おおい)に養生に害あり。

 益軒は養生を、隠居した老人や世間から離れてのんびりしている人のものだとは考えていませんでした。養生を知らない人は、昼夜働いて暇のない人は養生ができないのではと思っているが、それは間違っていると言い切っています。

 むしろ、「四民ともに家業をよくつとむるは、皆是養生の道なり」(巻第一の24)と説きます。つまり、武士も農工商の者も家業に励むことが養生の道だというのです。

「武士となる人は、幼いときから書を読み習字を習い、礼楽を学び、弓を射(い)り馬に乗り武芸を習って、身を動かすべし。農、工、商の人はおのおの、家業を怠けず朝に夕によくつとむべし。婦女は家にいて気が停滞しがちで、病が生じやすいので、仕事をして体を動かすべし。富貴の娘であっても、親、しゅうと、夫によく仕えて世話をし、織物や針仕事、糸つむぎ、料理を職分として、また子をよく育てて、安座していてはいけない」(同)と語ります。どんな人もそれぞれに、よく働いて体を動かしていることが養生だというのです。

 私は昔から「家業に励みなさい」という言葉が好きでした。この言葉には、単に働きなさいという意味以上のものが含まれています。そこには、親から引き継いだ物を大事にする心、先祖に対する感謝の気持ちといったことが語られているように思うのです。

 益軒も養生訓を「人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす」(巻第一の1)という言葉から始めて、私たちの生命(いのち)は親、祖先からいただいたものであるから、それに感謝することが養生だと強調しています。

 
 私の生家は埼玉県川越市内の繁華街で玩具商を営んでいました。両親ともに店先でよく働いているのを、子どもの頃から見て育ちました。父親の方はカメラや謡曲の趣味があって、家を空けることもたまにありましたが、母親はまったくの年中無休。年に1回だけ、人形の仕入れのために県外に出かけることを除けば、店を離れたことは生涯一度たりともなかったのではないでしょうか。

 まさに家業に励んでいた二人はそのお陰か、父親は89歳、母親は81歳で亡くなるまで、病に臥(ふ)せる姿を見せませんでした。

 私は長男ですが、家業を継ぎませんでした。子どもの頃から人と話をするのが苦手で、とても客商売はできないと思ったのです。

 そんな私がこれはいい、と思ったのが医者でした。あまり体が丈夫でなくて、よく医者のところに連れていかれたのですが、この主治医が患者に対してまったくしゃべらないんです。ただ聴診器をあてるだけ。昔はそんな医者が結構いたんですね。それを見て、これはいいと、医者を目指したのですから、困ったものです(笑)。

 家は継ぎませんでしたが、両親の仕事への姿勢は継いだと思っています。私も汗水たらして働くのが大好きなんです。しかも、年中無休で。だから、盆や正月は好きになれません。

週刊朝日 2017年8月4日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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