西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏が、2軍選手の才能を伸ばす方法を考える。

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 プロ野球界の若手育成には方法論は無数にあれど、これといった正解はない。要はその選手にはまるかどうかである。アマ時代から素晴らしい実績を持った選手ならともかく、ドラフト指名の80%以上の選手は、何か「きっかけ」がないと、なかなかスーパースターにはなれない。

 その点で、ソフトバンクの育成出身4年目の石川柊太(しゅうた)と、広島のドラフト2位3年目の薮田和樹の、首脳陣の使い方は絶妙だった。石川は開幕1軍から中継ぎ登板を経て、5月31日から先発ローテーションに。また、薮田も時を同じくして先発に回った。

「中継ぎ→先発」。かつてはよく見られたステップアップの形だが、先発、中継ぎ、抑えの投手分業制が明確になった近年では減っている。ドラフト1位など、将来のエース候補として期待を持って獲得した投手は、2軍でも主に先発で使われる。それはいいのだが、1軍に上げたときも先発で使うことが多いよね。だが、石川、薮田の成功例を見ると、1軍で活躍させるための選択肢として、中継ぎからスタートする意義を再確認できたと思う。

 特に150キロを超え、速球に魅力のある投手なら、首脳陣はその選択肢を持つべきだ。中継ぎなら、最初は楽な展開を選んで登板させてあげられるし、1イニングならば、思い切って腕を振れる。球威十分のまま抑えることができれば、自分の球を信じることができる。まず、1軍で何が通用するか、そして自信をつけられるか。その点を重視するなら、中継ぎスタートは理にかなっている。

 先発としての育成を考えた場合、まず球種増、そして制球重視と修正を考えてしまう。だが、それではスケールの大きな投手にはなれない。まず1軍のマウンドでしっかり腕を振ること。そして何を軸に組み立て、どんな投手になりたいかを描くことだ。いきなり総合力を試される先発では、課題に取り組むべき順序を見失う可能性がある。「2軍では勝てるが、1軍では通用しない」といった中途半端な投手が増えてしまう。

 
 薮田に関しては、亜細亜大時代に右肘手術などでほとんど試合で投げていなかったそうだが、たまたま松田元(はじめ)オーナーが乗ったタクシーの運転手が薮田のお母さんだったとか。そんなラッキーな面もあったのだろうが、広島の担当スカウトが、故障の経過、完治しているかをきっちり見極めて指名にこぎつけた。

 ソフトバンクも広島も、主力先発陣が故障などで相次いで離脱したから、先発が回ってきた側面もある。主力先発投手が順風だったら、その機会は巡ってこなかったかもしれない。それでも、1軍の中継ぎと2軍先発では、経験のレベルがまったく違う。もし、中継ぎで1年間を終えたとしても、秋から先発ローテーションの競争の中に入れ、来年勝負の年にすればよい。

 先日亡くなった森慎二を思い出した。私が西武監督時代に入団1年目から抑えに起用した。ルーズショルダーの不安があったが、何度か先発にも挑戦してもらった。先発、中継ぎ、関係なく投げてくれたな……。

 話を戻すけど、2軍にいる才能をどう伸ばすか。1軍監督も勝つだけでなく、考えてほしい。

週刊朝日  2017年7月21日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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