経営危機に陥った苦境にもめげず、映画への夢とか情熱を失わず、本当にすごい方だと思いましたね。裕次郎さんに「夢をもて、ロマンを語れ」ということを教えていただきました。石原さんは晩年、映画の話と海とヨットの話ばかりしていました。

──7月17日、没後30年になります。

 ひとつの区切りみたいな感じもします。8月末で小樽にある石原裕次郎記念館も閉館します。

 裕次郎さんが亡くなる半年ほど前のことですが、夕食を終えて、私と裕次郎さんがテラスに出て、沈んでいく夕日を見てました。そのときでした、「哲よ、人のしあわせって何かな」「哲、人間のしあわせって何かな」。裕次郎さんがポツリ、ポツリと二度、同じことばを繰り返したんです。

「もし仮に自分の命があと5年だとして、それが2年になってもいいから酒を飲みたい。それがしあわせってもんじゃないのかな」と独り言のようにつぶやきました。裕次郎さんはがんということを知ってたんでしょうか。52年の人生になにかを問いかけていたんでしょうか。あのとき、裕次郎さんは私に何を告げようとしたんでしょう。裕次郎さんが亡くなられて月日が経っても、今なお答えのない自分です。

──裕次郎さんを思い出すのはどんなときですか。

 私はたき火が好きです。火を見てるとなんか落ち着くんですよね。たとえば枯れ葉を燃やすと枯れ葉の匂いがしますし、薪を燃やせば薪の匂いがしますし。そんなときにフッと裕次郎さんのことを思い出すことがあります。

 亡くなってからも30年の長きにわたって石原プロを今日まで支えてくださった裕次郎さんの力の大きさを身にしみて感じております。

 裕次郎さんとは血はつながっていませんが、自分の気持ちのなかでは7歳離れた兄貴でした。

週刊朝日 2017年7月14日号