故障から復帰を果たした日本ハム大谷翔平選手。西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、大谷の故障と向き合いながら、どう二刀流をこなすべきか指南する。

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 左太もも裏肉離れで戦列を離れていた日本ハムの大谷翔平が6月27日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)に代打で登場。空振り三振に倒れたが、翌28日の同戦で同じく代打で左翼線へ適時打を放った。4月8日に故障し、80日ぶりにぶっつけ本番で戻ってきて、2打席目で安打を放つのは、さすがといえる。

 リーグ戦再開から3試合は出番がなかった。それをどう考えるかだが、戦力として考えた場合は「1軍ベンチ枠」が1人もったいなかった。しかし、試合に入っていく雰囲気、そしてリズムというものを感じる意味では、大谷本人にとっては無駄ではなかったと思うよ。1軍のベンチ枠の浪費には賛否両論あるだろうが、栗山監督がいろいろ考えた結果であろう。

 本人は「(痛めた右)足首も含めてベストの状態に今年は持っていけないと思っている」と話す。つまり、完治を優先させるのではなく、故障とつきあっていく道を選んだということだ。今後の注目は「故障とつきあいながら二刀流としてチームに貢献できるか」である。故障を抱えた状態で、投打でハイパフォーマンスを保つことが果たしてできるのか。走ることは置いておいて、160キロを投げ、豪快なアーチを量産できるのか。これから先、大谷が二刀流で生き抜くことができるか試金石となる。

 個人的には、二刀流は「健全な体」なくして成功できないと思う。だからこそ、完治させてほしいと思うのだが、一方で「二刀流」にこだわるあまり、故障で戦列を離れる期間が長くなっては、プロ野球選手として意味がない。「故障を治しながら打者から出場し、投手も立て直していく」という作業は、大谷が数多く1軍の試合で二刀流選手として戦う上では、絶対に必要だ。

 
 いくら左右の筋力を整えたとしても、無意識にかばう動きが出たら、ひずみは出る。ただ、怖がっては前には進めない。足の影響が比較的少ない打者として出場を続けながら、投手として仕上げていく。最初は点差の開いた場面の中継ぎでの登板も必要になろう。そして、球宴明け以降、先発として二刀流のリズムをつくり上げていってほしい。

 その挑戦は将来の在り方を見定めることにもつながるだろう。まずは絶対に失敗してはいけない過程である。新たな故障につながった場合は、「二刀流」の考え方を見つめ直す必要も出てくる。1軍の試合で活躍するために、投手なのか野手なのか。その軸を決めた上で、年間フルに活躍するために負担にならない形で二刀流をこなす道を模索すべきだろう。これだけの才能を持った選手だし、周囲が固定観念を持って見てはいけないのだが、大谷がいない日々は、何よりファンをがっかりさせることになる。そのことを本人がしっかり考えてほしい。

 二刀流の階段をどのように上っていくのか、注視したい。今後10年、20年と活躍するためにも、今回の経験を何とかプラスに変えてほしいと思う。

 6月下旬には、かつて西武ライオンズでともに戦った仲間の訃報(ふほう)が相次いだ。何度も救援登板で助けてくれた永射保さん、そして、私が監督を務めていたときに入団した森慎二さん。急すぎるよ。今は言葉が見つからない。

週刊朝日  2017年7月14日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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