林:実は私も山梨県の高校の放送部で、NHKの全国高校放送コンテストに、井伏鱒二の「山椒魚」の朗読テープを送ったことがあります。

魚住:え! そうだったんですか! 実は私は3歳からずっとピアノを弾いていましたが、手が小さいし才能もなく、コンクールでもぜんぜん上位には入賞しませんでした。ただ、音で表現をしたいという欲望はずっとあって、高校生のときに自分が楽器になろうと考えるようになって、歌手か、ラジオのDJか、アナウンサーになれたら、と思ったんです。

林:お父さまは大学の先生で、県立広島病院の院長だったんでしょう?

魚住:脳外科医で広島大の教授をして、その後、県立広島病院の院長に。

林:お友達には「りえちゃんって、私たちとはちょっと違う」と思われていたのでは。顔はかわいいし、勉強はできるし、声はきれいだし、お父さんは偉いお医者さんだし。

魚住:初告白するんですけど、ちょっといじめられた時期もありました。

林:広島にもお嬢さまが行く学校あるでしょう。公立高校に行っちゃダメですよ(笑)。慶応大では仏文で、放送研究会にも入ったんでしょう。

魚住:入りました。

林:キー局のアナウンサーになるって、おそらく何千倍もの競争率で、すごく大変なことですよね。

魚住:採用のときにはっきり言われたんですよ。「おまえは顔とか見た目じゃない。朗読がうまかったから、即戦力になると思って採っただけだ」って。私は背は低いし、化粧の仕方も知らないし、周りはミスなんとかの、手足も長くて着こなしも上手なすごくきれいな方ばっかりで。

林:実力じゃなくて、顔とか学校とかで女性アナウンサーを採ってると世間の人は思ってるでしょうけど、魚住さんのように大学生のときすでに素晴らしい技術をお持ちの人も、ちゃんと採るんですね。

魚住:フジとTBSと日テレにいちおう残ったんですけど……。

林:す、すごいじゃないですか!

魚住:全部がその理由でした。私、ずっとピアノをやってたから耳だけはよくて、話したり読んだりするときに生かせるんですね。

林:じゃ、入ってすぐ即戦力として番組に出してもらえたんですね。

魚住:当時、ケーブルテレビというのがありまして、24時間ずっとニュースを繰り返し流すんです。入ってすぐに「おまえは読めるから」と言われて、原稿読みをして。ニュースのデビューは早かったです。

林:「私、新人研修なんて必要ないわ」と内心思ってたんじゃないですか(笑)。

魚住:とんでもない! そんなことは全く思わないです。実況やリポートなど、原稿読みでない、描写をする仕事は出来が悪くて、ゼロから教えていただきました。

週刊朝日 2017年7月14日号より抜粋