熱海秘宝館の入り口ではマーメイドが出迎える=静岡県熱海市
熱海秘宝館の入り口ではマーメイドが出迎える=静岡県熱海市

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一氏が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「秘宝館」。1980年は日本の風俗史を語るうえで重要な年である。有名なノーパン喫茶が広まったのも、のぞき部屋が流行ったのもこの時期。「性のテーマパーク」を中心に紹介する。

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 人間とは、あらぬ妄想を抱いてしまう生き物かもしれない。その背後に隠されているものを、あれこれつい想像してしまう動物かもしれない。

 1970年代後半、京都に「J」という喫茶店ができた。ところが普通の喫茶店ではなかった。

 ミニスカートのウェートレスがテーブルにカップを置こうとして前かがみになる。その瞬間、男性客はゴクリとつばをのみ込んだ。スカートの下に何も身につけていなかったのである。

 料金は1時間1ドリンクで3千円だったという。高いのか、安いのか。何とも言いがたいが、ヒョイとかがんだ拍子に客たちは一斉にのぞき込む。ほんの一瞬、チラリと見える。それだけで満足できたのかもしれない。

「フフフ……。究極のエロスとは、脳で感じるものかもしれませんね」。昭和の風俗史に詳しく、著書『戦後「性」の日本史』(双葉社)がある風俗ライター伊藤裕作さん(67)は語る。

 前回の本欄でも指摘したように、この手のアイデアはなぜか関西で生まれる。そして、少し時間が経ってから東京に上陸する。案の定、80(昭和55)年に西武池袋線の東長崎駅(豊島区)近くに同じような店が開店。うわさはたちまち広がり、客が押し寄せ、店は大にぎわいとなった。

 政治史では、与党第1党の自由民主党と野党第1党の日本社会党の対立構図が“1955”年に確立されたのにちなんで「55年体制」という言葉が生まれたが、風俗史に名高い「ノーパン喫茶」の名称が広まったのは昭和55年。そう、風俗の世界にも「55年体制」があったのだ。

 京都・金閣寺前にはノーパン喫茶「モンローウォーク」が誕生。福岡にも、限りなくノーパン喫茶に近い「天まで翔べ」がオープンした。かつて性風俗の世界で働く女性と言えば、何かしら訳ありと相場が決まっていたが、「ノーパン喫茶」の誕生はそれまでの常識を覆した。要するに性風俗の世界に素人が大量に進出したのである。そこが画期的だった。

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