「造船大手は工場の稼働率維持のため、商船と艦艇をミックスして受注しないとやっていけない。造船業のことがわかっていたら、商船と艦艇は分けないはず。イージス艦入札で2回連続負けたことは、素人が経営判断をやっている象徴」(業界関係者)。防衛ビジネスでの存在感が薄れ、15年度の防衛装備品契約額は50年ぶりに首位の座を川崎重工業に明け渡した。

 不祥事も発覚した。「LNG(液化天然ガス)を運ぶ船のエンジンの燃費データをごまかした結果、多額の損害賠償金を取られた」(同造船所関係者)。客船だけでなく、LNG船の問題も業績の足を引っ張った。

「重工体質」という言葉がある。重工から分離独立した三菱自動車は、2度のリコール隠しや昨年の燃費データ不正など不祥事を起こすたびに、重工体質が原因と指摘された。官公需中心の重工は消費者を軽視するという意味で、自動車もそのDNAを引き継いでいると語られてきた。LNG船の不祥事で、重工自らがその体質を露呈する形になった。

 三菱自動車は昨年、日産自動車に買収されたが、「重工にもっと余力があれば、反対していた」(自動車OB)。MRJや造船の失敗で資金が奪われるなか、重工は自動車株の売却方針をすでに決めており、反対しなかったという。

 自動車の経営は、御三家の重工、商事、銀行が人・モノ・カネの面で支えてきた。なかでも、重工は自ら産み落とした会社ということで、歴代社長が自動車を「溺愛」した。名古屋航空宇宙システム製作所(名航)出身で社長・会長を務めた実力者の西岡喬氏は、重工相談役と自動車会長を一時兼任した。

 00年、自動車が独ダイムラーと資本提携した際のことだ。御三家の足並みがそろわず、推進派の槙原稔・三菱商事会長(当時)と、反対派の相川賢太郎・重工相談役(同)がいがみ合い、自動車の河添克彦社長(同)が板挟みになった。昨年、燃費データの不正で引責辞任した相川哲郎・三菱自動車社長(同)は、賢太郎氏の子息。血のつながりも両社の結束を強めていたが、今や時代は変わった。重工の衰退は、御三家の結束力の弱体化につながるかもしれない。

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