MRJ事業を担う子会社の三菱航空機の度重なる社長交代も、迷走の象徴だ。

 開発開始から10年で、問題が起きるたびに4回も交代した。極めつきは、再建のエースと期待されて15年4月に就任した森本浩通社長が、17年3月末で事実上更迭されたことだ。

 森本氏の前任者まで、社長は「名航」出身者が続いた。宮永氏は、なれ合いで仕事をしていると見て、重工本体の執行役員だった門外漢の森本氏を送り込んだ。プラント輸出の担当が長く、海外経験も豊富で「プロジェクト管理のプロ」と呼ばれた人物だ。

 しかし、森本氏と現場の間に「溝」が生じ、新体制は機能不全に。15年12月に4回目、17年1月に5回目の納入延期が決まり、森本氏は責任を負う形となった。

 競合他社の幹部が言う。「MRJは、名航出身で社長・会長を務めた実力者の西岡喬氏が推進した。相談役に退いてからも、西岡氏はかなり口を出していた。宮永社長はそうした動きを排除したくて森本氏を送り込んだのではないか」

 相談役が経営に口を出して影響力を保つ構図は、倒産寸前の経営危機に陥った東芝と似ている。東芝の社長・会長を務めた西室泰三氏は、退任後も経営に口を出していたという。

 重工の経営に社長OBが口を出すのはMRJだけではない。「11年には日立製作所との経営統合で合意し、日本経済新聞が1面トップで報じ、日立側も報道を認めたが、重工の社長OBが反対して潰した。宮永社長はOBの影響をかなり排除したが、こうした旧態依然のガバナンスを引きずって業績もパッとしない。重工が『第二の東芝になる』といわれる理由です」(重工担当記者)

週刊朝日  2017年6月9日号