落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「忖度」。

*  *  *

 いま、寄席の高座でも流行ってる『忖度』。噺家が落語で頻繁に使うようになったら、世間的にはすたれ始めだ。ちなみに我々の世界の片隅には、まだ「じぇじぇじぇ」って言ってる先輩もいる。

『忖度』とは「他人の心を推し量ること」。噺家はこれを最初に叩き込まれる。「自分が今なにをすべきか、状況判断しろ、察しろ、空気読め……」。息苦しいっちゃ息苦しい。

 ある大御所の師匠と地方公演に行った。

 空港で出迎えの主催者・Sさん(40代・男)は悪い人ではないのだが、『忖度』がまるでできない。いつもご陽気にケラケラ笑ってる太った人。愛嬌はある。

S「(ケラケラと)お疲れ様ですっ!!」
大御所「(怪訝な顔で)何か楽しいことでもあったのかい?」
S「いえー! 楽しいことなどまるでありませんっ!!」
大御所「……俺が来ても楽しくないかい……?」
S「あ。いや、楽しいでしょうね……期待してますっ!(汗)」

 大御所、ややウケ。

 一行にピリッとした空気が流れる。Sさん、笑顔と体形で助かっている。親に感謝すべき。

 この大御所は無口で気難しい。が、Sさんは嫌いではなさそう。

 大御所のお気に入りの店へ。

大御所「チャーハンがうまいんだよ。みんなは何にする?」
一同「チャーハンを頂きますっ!(即答)」

 しばらくして味噌ラーメンが一つ運ばれてきた。

S「こっちでーす」
大御所「チャーハン食べないのか?」
S「はい、昨日食べたので、2日続けてはきついです!(笑)」

 一行に再びピリピリ感が。

 落語会が終わり、打ち上げの席で芸論になった。大御所はお説教ムードに。夜もふけてきて、みんなホテルに帰りたい。若い者同士で飲みたい。自由になりたい。大御所は気づかない。

 こんな時はSさんを使おう。空気読まないデブに「王様は裸だ!」と言わせよう。

「Sさん、そろそろここさ(見えないように指でバッテン)」

 
S「あー。万事!! 私めが!!」

 Sさんは会計を済ませ、大御所はちょっと不服そうだが、みんなの自由のためには仕方ない。Sさん、グッジョブ。

S「ホテルのラウンジを予約しましたので、お話の続きはそちらで!! ね、師匠っ!!」
大御所「え(笑)、そうかい? じゃ、しょうがねぇな」

 とまんざらでもない丸裸っぷりだ。

 ホテルへの帰り道、さんざん皆から「バカだ、気が利かない」とこきおろされるSさん。

「だって師匠のお話、うかがいたいじゃないですか!」

 真剣な目をしていたが、いざラウンジのソファに腰をかけると、あろうことか、いびきをかき始めた。

大御所「……S君も眠そうだから、そろそろ引き揚げるか」

 翌日、空港まで見送りに来たSさんの手をギュッと握った大御所は一言、「君がいて楽しかった」。「私もです!」と満面の笑みのSさん。気がつくとお爺さんとデブがハグしていた。

 余計な『忖度』が身についている我々には何が正解なのかよくわからないが、とにかく楽しそうに生きているSさん。そういえばSさんもいまだに「じぇじぇじぇ」って言う。

週刊朝日  2017年4月28日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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