落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「枕」。

*  *  *

 私の枕が臭い。無精なもんで何日もそのまま。汗臭く、若干の黄ばみ、その上しっとりと湿り気もある。カバーを替えなきゃとは思うのだが、まぁいいか。別に寝ちゃえばわからないし、枕の匂いで死ぬわけじゃなし。

 気がつくと長男(小5)が私の枕に顔を埋めてクンクンと嗅いでいた。

「!? 何してるっ!?」

「いい匂いだ、パパの枕は……」

 と、アヘン窟の住人のような恍惚の表情を浮かべる息子。こいつヤバイな。というのは去年まで。今年に入ってからは、手のひらを返したように、

「パパの枕はもう嗅がないの?」

「誰が嗅ぐかっ!(怒) アセくさおっさんマクラっ!」

 寂しい。だんだん親離れしていくのだ。長男の成長を実感するが、下の2人の子供たちはかなり前から「ウンコくさジジーマクラ!」との激評を下していたので、長男の異常志向が真っ直ぐになっただけかもしれない。しかし「ウンコくさ」とはどういう言い草か?

 ご存じの通り、噺家が本題に入る前の導入を“マクラ”という。落語をより楽しんでもらうために大事な部分。早い話がつかみのフリートークである。

 最近、“マクラ”も危うい。ありがたいことに年間バカみたいに高座に上がっているので、毎度毎度何を喋ったらいいのかわからなくなってきた。

 小噺・時事ネタ・身の回りの出来事・それにまつわる自分の思いや意見などをまとめてマクラにするのだが、これがなかなか苦労する。

 適度にウケて、すんなりと落語に入れるマクラが「よいマクラ」だと思うが、難しい。何となく「こないだウケたから、今日も……」とルーティンなマクラでお茶を濁す。まぁまぁウケる。しかし、自分の中の鮮度は落ちる。無精で怠け者なので、新たなマクラに踏み込むのが億劫。億劫がってるうちに次の高座。あー、また同じマクラ。こうなりゃいっそのこと面倒な“マクラ”も“枕”もなくていいか、と思う。

 
 先日、ある高座にて。頭を下げて、顔を上げたら数人のお客さんがクスクス笑っている。まだ何も言ってないのに。

 私がお客さんに「なに?」と言うと「ゲラゲラ!」。クスクスがゲラゲラに昇格。私「なんなの!?」、お客「ドッ!!」。ゲラゲラがドッに二階級特進。

 中高年のおばさんばかりなのに、中身は乙女なのか。箸が転がるどころか、噺家が座布団に座っただけで笑っている。

 思い切って10秒くらい黙ってみた。不愉快そうな顔で客席をねめ廻す。笑い続ける元・乙女たち。なんだそりゃ。私はなんにも言わず落語に入った。その日のマクラは「なに?」「なんなの!?」の6文字のみ。

 超楽チンだな、と思ってたら休憩中にロビーでお客さんに、

「アタマが薄くなりましたねぇ(半笑い)」と話し掛けられた。

 アタマ見て笑ってたの? なんか複雑だ。笑われてたのか。

 枕カバーを清潔にしていないと頭皮に悪影響があるらしい。毛根も弱ってくるのか。

 そんなこんなで枕とマクラに思いを馳せながら、洗面器に除菌漂白剤を張って枕カバーを浸してみた。カバーからじわじわと汚れが染みだしてくるのがわかる。こりゃいかん……よし、新しいマクラを考えねばな。と、改めて反省したのだ。

週刊朝日 2017年4月21日号

著者プロフィールを見る
春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

春風亭一之輔の記事一覧はこちら