また、嫡男信康が武田氏と内通しているとの謀反の疑いで切腹させられた際、介錯に使われた刀も村正の作であったという。これらの因縁から徳川家の村正は全て廃棄され、民間に残った村正は銘をすりつぶして隠滅したというのが「妖刀村正伝説」だ。

「徳川の時代の刀は、戦国時代の重ねが厚く太く重いものと違い、切ることを目的としない薄口です。刀は武器ですが、それより美術品として捉えていたのでしょう。徳川の時代は武器は必要なかったのです」(徳川さん)

 村正伝説についてはよく知らないと徳川さんは話す。

「惜しむべきは、わが家にあった本当に素晴らしい刀はGHQにより接収され、その後行方不明になっていることです」(同)

「後世の創作」であるとして妖刀村正伝説はほぼ否定されているが、家康が守った平和はこれからも語り継がれていくだろう。(ライター・植草信和、本誌・鮎川哲也)

週刊朝日 2017年4月14日号