金融検査官が接待を受けた風俗店の入っている雑居ビル入り口=1998年1月27日午前9時すぎ、東京都新宿区歌舞伎町で (c)朝日新聞社
金融検査官が接待を受けた風俗店の入っている雑居ビル入り口=1998年1月27日午前9時すぎ、東京都新宿区歌舞伎町で (c)朝日新聞社

 悲報に特報、仰天インタビュー、それにエリートのハレンチ事件……。創刊95周年を迎えた週刊朝日の「見出し」から今回は1990年代の歴史をたどります。

 1990年代が「失われた10年」と呼ばれるのは後のことだ。90年代初頭には就職戦線も「売り手市場」だったし、テレビのドラマやバラエティー、歌番組も花盛り。バブル崩壊を実感しない浮世は続いた。

 そんな中、92年6月の桜田淳子(当時34)の記者会見は衝撃的だった。統一教会の合同結婚式に臨む経緯を語ったのだ。本誌7月17日号は「“結婚相手”に『東大出身の日本人男性』が内定しているともささやかれている」と報じた。

「なぜだ」「思いとどまれないのか」というファンや芸能関係者の声に背を向け、彼女は休業し、表舞台から去っていった。

 それから25年。2017年1月。都内のファミリーレストランに、眼鏡をかけて黒っぽい帽子を目深にかぶった彼女は現れた。

 イベントの打ち合わせのため、プロデューサーの増田久雄(70)と向き合った。4月7日に舞台に立ち、映画音楽を歌うのだ。

 淳子は増田に「ご縁ですよね」と繰り返した。

 増田はかつて、作詞家の阿久悠(故人)を介して彼女に短編映画への出演を頼んだことがある。

 増田が言う。

「淳子ちゃんの出演はまさに縁がつないだハプニングですよ。まだまだオーラがある。舞台に出ないのはもったいない」

 一夜限りの舞台。チケットは瞬く間に完売した。「これを逃すと動いている桜田淳子をいつ見ることができるかわからない、というファンの期待が大きかったのでは」(関係者)

 淳子は本誌にだけ、コメントを寄せてくれた。

「チケットが完売と聞いてますます、当日は来てくださる方たちのために良いステージにしなければという気持ちでおります」

 92年7月24日号には、アニメ映画監督の宮崎駿のインタビュー。「紅の豚」が公開されたころだ。宮崎が講演会で「3歳までは子どもにテレビを見せないでください」と語ったのを受け、その真意を尋ねている。

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