また、30年には「お子様ランチ」も30銭でお目見え。本家は日本橋三越本店だが、当初のネーミングは「御子様洋食」。「お子様ランチ」と名付けたのは、翌年からメニューに加えたライバル店の上野松坂屋だった。

 合成洗剤のパイオニアは、第一工業製薬が34年に発売した高級アルコール系洗剤「DKS100番」と「DKS300番」。繊維業界向けの工業用として開発され、せっけんに代わる手軽で洗浄力の高い洗剤として羊毛・人絹工場で重宝された。37年にはDKS300番を「モノゲン」の商品名で市販し73年にP&Gサンホームが販売を継承したが、2006年に廃番となった。

 1935年発売の「ヤクルト」の生みの親は京都帝大医学部で予防医学に取り組んだ代田稔博士。主成分である乳酸菌「L・カゼイ・シロタ株」を発見、製品化まで5年を要した。今では国内と海外(33の国と地域)で主力の「ヤクルト」を含めた乳製品販売は1日当たり、なんと3773万本!

 オフィスや家庭の必需品・セロハンテープも「ギヤー・ハンマー印透明テープ」と名付けられて登場。だが、粘着力が弱く途中で斜めに切れることもしばしば。それらが大幅に改善されたのは47年。GHQの依頼を受けた日絆工業が取り組み、48年1月に納品。これが好評だったため、社名変更後の日絆薬品工業が同年6月から「セロテープ」の名称で市販した。

 国内初のヘアドライヤー「ナショナルホームドライヤー」が松下電器産業から発売されたのは37年。手元のスイッチで、温風・冷風・停止を簡単操作。現在のドライヤーの原型と言える。

 ただし洗濯機や冷蔵庫同様に高価なため、理髪店などの業務用として使用され、一般家庭に普及するのは50年代に入ってから。

 今や一般家庭でも複数台所有が当たり前になったテレビ。わが国では「日本のテレビの父」と言われる浜松高等工業学校電気学科の高柳健次郎助教授が26年にブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功。その後、松下無線・東京研究所が高柳氏に指導を受けながら研究・開発し、39年7月に特許局陳列館で開催された電気発明展覧会で受像機を初めて一般公開した。

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