福島第一原発の安全性を無視したり、「衝突」という言葉で憲法違反をごまかす政治家たち。作家の室井佑月氏は、自らの利潤を求める“リーダー”たちから「おなじ人間として見られていないような気さえする」と訴える。

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 ここ数年で、所得格差が広がり、我々国民の価値はずいぶん下がったように思う。もちろん、我々がそれを望んでいるわけじゃない。道徳心の欠片(かけら)もないこの国のリーダーといわれる人たちから、

(あいつらは俺らと違って、代えがたくさんいるからね)

 そんな風に思われている気がするのだ。

 もちろん、あたしたちにだって生活がある。なにがあっても守りたい子どももいる。それは彼らだっておなじはずなのに、まるでおなじ人間として見られていないような気さえする。

 福島第一原発の2号機原子炉格納容器の内部を撮影した先月末の調査で、放射線量は毎時530シーベルトと推定された。そしてまた、今度は毎時650シーベルトと、さらに上回る数値が出て来た。

 この異常な数値は中に入れたロボットが出してきた。が、そのロボット調査もうまくいっているとはいいがたい。650シーベルトを叩き出したときの調査で、ロボットのカメラは2時間で故障したという。

 さて、ここからが問題だ。原発内の数値を測っても故障しないロボットが出来たとしても、その後、どうやって溶け落ちて形も不明な燃料を取り出すの? そして、それをどうやって安全な場所に運んで保管するの?

 
 さっぱりわからない。わかっている人なんていないんじゃないか。

 建屋周囲の土壌を凍らせ地下水流入を防ぐ凍土遮水壁は、効果がはっきりせず中途半端なままだ。

 なのに政府は、今年の4月をめどに富岡町などで帰還困難区域以外の避難指示を解除しようとしている。

 福島県の小児甲状腺がん及び疑いのある子どもは180人を超えてしまった。けど、「被曝の影響は考えにくい」で押し通すみたいだ。それどころか、検査自体を少なくしようなんていう動きも出てきて。

 もう、政府が、

「福島第一原発のこの先はわからない」

 そう我々に正直に告げるべきだと思う。そして、周辺に住んでいる人々の安全を、用心深く考えるべきだと思う。たとえば、代わりの土地を探すとかさ。

 だが、しない。福島の子どもたちの健康を天秤にかけても、自分が関わりこの国でオリンピックを開ける名誉や、企業の献金や団体票のほうが大事だからだ。

 そうそう、「戦闘という言葉を使ったら憲法違反になるから、衝突という言葉を使う。それは憲法違反にならない」、そんな馬鹿みたいな答弁をした大臣もいたっけか。

 憲法は権力者から国民を守るためにある。あんたの都合で解釈していいわけなかろ? この国のため、すでに自衛官は危険な場所へいかされているのだ。彼らの命をなんだと思っているのか?

 2月11日付の日刊スポーツの「政界地獄耳」に、「『戦闘』が『衝突』なら『戦死』は『事故』」という記事が載っていた。まさに、そういうことにされかねない。

週刊朝日 2017年3月3日号

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室井佑月

室井佑月

室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中

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