謙信はあるとき、無銘ではあったが見目美しい太刀を手に入れた。斬れ味は鋭かったが馬上で使うには長すぎたので、磨上(すりあ)げ(茎尻[なかごじり]<茎の最下端部>を切り縮めて刀身全体を短くすること)のために研ぎ師に預けた。

 研ぎ師は、預かった刀に何かあっては大変と、刀を抱いて寝た。すると夢の中に麗しい姫君が現れ、「どうか私を切らないでください」と涙ながらに懇願する。翌日も姫君が夢の中で同じ訴えをする。研ぎ師が名を問うと、「鶴と申します」と答えてスッと消えた。

 その話を聞いた謙信は磨上げを取りやめて、「姫鶴一文字」と号した。

「こういうお話が伝わっているのは義を重んじる謙信らしいですね」(上杉さん)
 それから300年以上後の1881年、明治天皇が米沢製糸場に臨幸された。刀剣に造詣が深かった明治天皇は、急遽日程を延ばして上杉家の刀剣をご覧になった。そのとき数々の名刀の中から特に「姫鶴一文字」の押形を所望されたという。

 謙信、明治天皇という歴史に残る人物に愛された「姫鶴一文字」、研ぎ師の夢に現れた姫はこの上もない美女だったのだろうと空想すると、「姫鶴一文字」はさらに優美に見えてくる。

「上杉家には謙信が高野山へ携えた備前三郎国宗作の戒杖刀があるのですが、それを見ると、その刀を持った謙信が目の前に現れるようで震えます。刀はそこに深い歴史を背負っています。その歴史も感じてほしいですね」(同)(ライター・植草信和、本誌・鮎川哲也)

週刊朝日 2017年3月3日号