子孫が語る刀剣と秘話(※写真はイメージ)
子孫が語る刀剣と秘話(※写真はイメージ)

 親子、主従の背信が日常茶飯事だった下克上の時代、自らが天下人になる野望は微塵(みじん)も持たなかった高潔な武将。毘沙門天を篤く信仰し、朝晩欠かさず結跏趺坐(けっかふざ)して禅定を行う宗教家。女色を避け生涯不犯(ふぼん)(といわれている)、さながら律僧のようだった上杉謙信。
 
 フィクションの要素を極力排除し、文献をもとにして歴史の真実を追い求めた海音寺潮五郎が『天と地と』で描いた謙信が目指した世界、求めたものは、武田信玄、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉らほぼ同時代の戦国武将たちのそれとは天と地の開きがある。

 そんな謙信の養子になって上杉家の家督を継いだ甥の景勝は、「上杉家御手選三十五腰」という銘刀の記録を遺している。それは、愛刀家だった謙信の所蔵品のうちから景勝が特に気に入っていた35振りが記された名刀リストだ。

 上杉家17代当主の上杉邦憲さんがこう語る。

「謙信にしても、景勝にしても相当な目利きで、刀には詳しかったのです。それは美術品としてではなく、あくまで実戦用の武具としてです。また景勝の上洛が遅れていることを咎められたことに対して送った直江状に『上方では茶器のような人たらしの道具を集めているようだが、我々が武具の支度をするのは当然のこと』とあります。つまり常に武士としての精神を持っていたという証しですね」

 そうして武具を備えていた景勝には35振り以外にも、自ら「上ひざう(秘蔵)」と題した「腰物目録」があり、双方の上位に挙げられているのが「姫鶴一文字」である。

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