<寒い。軽井沢でも何年ぶりという大雪のあとだけに、夜はマイナス一〇度を越える。待機する警官も報道陣も足ぶみをし、ライターの炎で、束の間の暖をとるものもいる。ボールペンのインクも凍って書けない。時折り山荘の中で、チラチラするのは懐中電灯の灯か。それが暖かく見える>

 70年代には、オカルト・ブームもあった。そこに一石を投じたのが、74年5月24日号の「科学的テストで遂にボロが出た! “超能力ブーム”に終止符」だ。

 テレビでスプーン曲げなどを披露する「超能力少年」の“技”を、高性能カメラで検証。少年が体の陰でまっすぐな針金を曲がった針金とすり替えて「超能力」に見せかけていた場面をカメラでとらえるなど複数の不審点を明らかにした。後日、少年と両親はトリックを認め、母親が本誌に手記を寄せている。

<私は子供を責めることはできません。むしろ、反省しなければならないのは、私たち親や、念力や超能力ブームを演出してきたマスコミではないかという気がするのです>

 おおらかな時代を垣間見る記事であったのが、75年11月28日号「ヒゲの三笠宮寛仁殿下が語る『わが理想のお妃』」。当時29歳の「ヒゲの殿下」のインタビューだ。聞き手は黒柳徹子。皇族が週刊誌のインタビューで女性の好みを語るなど、今では考えられない。

<「私、英語もしゃべれません。できるだけ読書をしてたいんです」という引っ込み思案な人じゃ、どうしようもないわね。かなり積極的な人でないと、ぼくの妻たり得ないんじゃないかということね>

 結婚観に言及したかと思えば、こんな武勇伝も。

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