機動隊まで出動した長髪騒動(※写真はイメージ)
機動隊まで出動した長髪騒動(※写真はイメージ)

 今号通巻5423号で創刊95周年を迎えた「週刊朝日」。日本の総合刊誌の中で最も長い歴史を更新中だ。高度経済成長真っ只中の1960年代には社会問題から“滑稽”な事件まで様々な日本の姿があった。

■1960年代
開高健が見た戦火のベトナム
新幹線は「不安な乗り物」?

 ベトナム戦争が暗い影を落とした60年代。週刊朝日は約100日間にわたって作家・開高健を南ベトナムに派遣し、65年1月から、現地からのルポ「ずばり海外版 南ベトナム報告」を計10回掲載。65年2月26日号はすさまじい内容だった。タイトルは「サイゴン─東京国際電話 ジャングルの火線に立つ」。

 2月14日、南ベトナム政府軍に同行して密林に入った開高は、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の拠点の小屋を発見。直後、ベトコンの襲撃を受ける。

<正面から、これは、どこからくるかわからんのですが、ものすごい機関銃の掃射が始った。ベトコンに撃たれたわけです>

<ひたすら撃たれっぱなしという感じでした。とにかく頭を上げることもできないほどものすごい銃火です。木の枝はピュンピュンと音がし、どうしていいのかわからない。地面にカブト虫のようにしがみついて、タマの飛んでくる方向の反対側に転がりこんで、地物を捜し回るということをやっていた>

 負傷者が続出する中で部隊はバラバラに。開高は同行の写真記者・秋元啓一とともに死を賭して逃げた。

<われわれは泥まみれになりながら草原に逃げた。その後ろからベトコンの狙撃兵がライフルやら機関銃で撃ってくる。草原を抜けて向いのジャングルへもぐりこんだ瞬間、私のすぐうしろ、秋元君の前のほうにいた政府軍の兵士が肩を撃ちぬかれた>

 命が危ない。そんな局面でも開高の観察眼は光る。

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