作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、日本のAVにおけるスタンスから女性問題を考える。

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 29キロの女の子。143センチ18歳。

 そんな文字が並ぶAVパッケージを目にしてしまった。うたい文句が全て数字だなんて、女のモノ化も極まったね……と、くらくらした。数字の羅列の横には、小学生にしか見えない「女の子」がおさげにして、「あどけない」笑顔でこちらを見つめている。水着姿や制服姿のまま、バイブをあてられたり、男性器をくわえているえぐい映像が並んでいる……。

 日本のAV業界には、キモくないと欲望ではないという信念でもあるのか、または、欲望=キモいという定義でもあるのだろうか。女を実験道具のように「いじる」様を「セックス」として表現するAVでは、男も等しくモノ化されているけれど、そういうAVを見ると、セックスとは非日常でなければいけない、女は支配しなくてはいけないといった男性の強迫観念の根深さを感じる。いったい女と何をしたいんだろう。

 エリカ・ラストというスウェーデン人女性のポルノ監督がいる。ロリコンやレイプ表現がないだけ日本よりマシ、と私は思うのだけれど、彼女は男だけに都合の良いポルノにうんざりし、フェミニストとしてポルノを撮り続けている。

 初めて彼女の作品を見た時は衝撃を受けた。一言でいえば、とても、静かだったのだ。オーガズムの顔をスローモーションで表現したり、レースの下着が風で揺れている様と愛撫が交互に描かれたり、夕焼け時のビーチで、波の音を背後にセックスがはじまったり……。新鮮だったのは、「終わり」が決して男性の射精ではないこと。セックスは女性も男性も楽しむものだった。ポルノとはエロス的充足を生むこともあるのだ。そんなことを信じられるポルノだった。

 
 先日、エリカ・ラストの作品を十数人の女性と見る機会があった。面白かったのは「こんなセックスしたい!」と盛り上がった人の感想がバラエティに富んでいたのに対し、否定的に見た人の感想が、どれも似ていたことだ。「これじゃ、興奮できない」と彼女たちは言った。理由は「背徳感がない」ということだった。作品の中には大学教授と女子大学生の関係を描いたものもあったので、それは十分背徳的では?と聞いたところ、「楽しそうに見える」=「興奮しない」とのことだった。言いながら、私たちは病んでるかもね、って苦笑し顔を見合わせた。

 それから私たちはポルノについて様々な話をした。全員が、日本のAVは怖い、キモいという点で一致していた。そもそも、なぜ女が怖がる表現を、日本の男たちが消費したがるのか。では、どういうポルノを私たちは見たいのか。なぜ楽しそうなセックスが嘘っぽく見えてしまうのか。

 会話しながら、これは、日本社会で女たちが奪われてきたものの正体を探るような話題なのだと思った。何を奪われたか見えないまま、本当に手に入れたいものを考える。女にとってのポルノは、そんなところからのスタートなのかもしれない。

週刊朝日 2017年2月24日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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