郷士坂本家10代目 坂本匡弘(さかもと・まさひろ)さん/1965年、東京都生まれ。坂本龍馬の甥・坂本家5代目の坂本直寛子孫。全国龍馬社中常任相談役、銀座龍馬会、大和龍馬会、遠州龍馬会、北海道道援隊などの顧問をつとめる(撮影/工藤隆太郎)
郷士坂本家10代目 坂本匡弘(さかもと・まさひろ)さん/1965年、東京都生まれ。坂本龍馬の甥・坂本家5代目の坂本直寛子孫。全国龍馬社中常任相談役、銀座龍馬会、大和龍馬会、遠州龍馬会、北海道道援隊などの顧問をつとめる(撮影/工藤隆太郎)

 2017年で大政奉還から150年。幕末から明治維新という激動の時代を生きた英雄の子孫たちが先祖の知られざる素顔、偉業を語り尽くす。今回は、坂本郷士坂本家10代目・坂本匡弘さんだ。

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 1月にニュースになった、龍馬の手紙の発見は、驚きましたね(編注:1867年、龍馬が京都で暗殺される5日前に書いたとされる書簡が新たに見つかったと、1月13日、高知県などが発表した)。

 手紙には「新国家」という表現があり、新しい時代の到来を感じます。龍馬と財政について話し合い、のちに五箇条の御誓文にも関わった福井藩士の三岡八郎(由利公正)が財務大臣として必要だと、福井藩の重臣・中根雪江にあてて書かれたものです。中根は福井藩主の松平春嶽の腹心中の腹心で、お墓もそばにあるような人物でしたから、非常に緊張して書いたのではないかと思います。

 この手紙は普段の龍馬の手紙よりも、かなり字が奇麗で、丁寧に書いている印象を受けました。一度下書きでもしたのかもしれません。大政奉還が実現し、これからというときでしたから、大きな期待を込めて書いたのではないかという気がします。
 さらに驚いたのは、2016年の夏、友人が、ある人を紹介したいというのでお会いしたのが、三岡八郎のご子孫だったんですよ。そのときは、「150年ぶりですね」みたいなお話をしたりしたのですが、そのほんの2、3日後だったんです、手紙の話を聞いたのが。単なる偶然とは思えない、何か不思議な力、龍馬の力だったのかなと思いましたね。

 龍馬は大政奉還後、北海道の開拓を計画していました。志半ばで亡くなってしまいましたが、坂本家、龍馬の甥の坂本直寛がその遺志をついで北海道にわたりました。ですから明治以降、私の父の代までの坂本家は、北海道出身なんです。夏休みに北海道に行ったときなんかに、「すごい人だったんだよ」という話を聞いたりしましたね。子どものころ母に何度も言われたのが、そういう人の一族なので、絶対に悪いことをしちゃいけないよ、牢屋に入れられるようなことはしちゃいけないよということですね。世間に恥ずかしくない生き方をしようという思いは自分の中にありました。

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