三宅宏実さん(左)と林真理子さん(撮影/写真部・加藤夏子)
三宅宏実さん(左)と林真理子さん(撮影/写真部・加藤夏子)

 リオ五輪ではスナッチ、ジャークともにもう後がない状態の3回目で見事成功させ、満身創痍の状態で銅メダルを獲得したウエイトリフティングの三宅宏実選手。あの感動から約4カ月、当時の気持ちや今後、そしてアスリートとしての心構えについて、林真理子さんとの対談で語ってくれた。

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三宅:中学校3年生のときに(女子重量挙げが正式種目になった)シドニー五輪を見て感動して、「自分もこの中に立ちたい」と思ってしまったんです。それまでほとんどスポーツの経験もなかったんですが、父(1968年メキシコ五輪の銅メダリストで、義行さん)も伯父もメダリストでしたから、五輪ってみんなが行けるぐらいに思っていたんです。

林:とんでもないですよね。

三宅:とんでもなかったです(笑)。

林:でも気持ち、わかりますよ。私も昔、現地でバルセロナ五輪を見て出てみたくなりましたから。「いまからできる種目はありますか」って聞いたら、「射撃はお金がかかるから練習できる人は限られる。全財産使うつもりでやったら出られるかもしれない」って言われて、ちょっと考えました(笑)。「選手村に入って開会式で行進するような人生っていいな」って。

三宅:私もそう思っていたんですが、ウエイトリフティングは開会式の次の日が試合なので出られないし、試合が終わったら2、3日で帰国するから、閉会式も出られないんです。

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