酒井さんに子供を会わせると、今度は「どこに住む?」と、押してくる。その後はトントン拍子に進み、2LDKの賃貸マンションで暮らし始めたのは、出会って半年後だった。ところが、1児の父となった一人息子が、

「お父さん(おっとう)が死んだら、今の土地と家が半分(敬子さんに)行っちゃうから嫌だ」

 と結婚に反対をした。

「もめるのは嫌だから全部息子さんにあげて」と敬子さんが言っても、「お父さんが死んだら、欲が出るかもしれない」

 と、息子は決して認めない。酒井さんの姉妹まで「財産目当て」「保険金目当て」と猛反対を始めた。

「『わかった。家と土地をお前にあげる』って手続きをしましたが、泣きたい気分でした。墓もきれいにし、家の税金も払った。だからもう好きにさせてよって」

 一方、別居していた敬子さんの2人の娘が、新居に居座ってしまった。4人で暮らせるようにと、家賃11万円、3LDKのマンションへ引っ越した。家賃の7万円を酒井さん、残りを敬子さんが出すと決め、光熱費は敬子さんが、食費のほとんどは酒井さんが払うようになった。娘は「父ちゃん、父ちゃん」と、酒井さんにベッタリで、父娘旅行に行くほど仲がいい。DVの父親だったから、笑いのある穏やかな家庭がよっぽどうれしいらしい。しかし、どこでも娘が一緒なので、月1回はホテルで「イチャイチャ」して、夫婦だけの時を過ごす。

「まさか晩年で、こんなに幸せにしてくれる男性(ひと)と出会うなんて……。人を好きになる恐怖心もあったんです。でも恋をすると、心が明るくなるし、人に優しくなれるし、生きていくのが楽しくなります」

 敬子さんのほおが薄桃色に染まっていった。

 しかし、こうしてピッタリの相手が見つかるのは、前出のB子さんが口にしたように、氷山の一角と言っていいほど難しいかもしれない。だからこそ、敬子さんは最初から、酒井さんを積極的に引っ張っていった。そうして酒井さんは、すべてを息子に譲って体一つになった代わりに、幸せを手に入れた。

「人を好きになるって、70歳、80歳と年を重ねても年齢は関係ないとわかったよ。寂しいな、寂しいなって、一人ポツンと家で酒かっくらってちゃ、つまんないよ」

 酒井さんの声がひときわ大きくなった。その優しい笑顔には、自信が感じられた。そして続けた。

「懇親会に行ったら、寂しい思いが大きく変わると思うんだよね。『こんなに大勢、婚活してる人がいるの?』ってね。人生には多少の努力は必要だよ。まずは家から出ないとダメ。人のいる場所へ出ていかなくちゃ。このまま終わっていいの? 恋をしたら、ドキドキするもんなんだから……」

 酒井さんは、妻を煩わしいことから守るために、敬子さんの姓を名乗る立場となった。

 待っているだけでは、つかめるものまで逃げていく。それが中高年の婚活の必須条件のように感じた。

 どうやら人は命の幕を閉じる直前まで恋ができるものらしい。

週刊朝日 2016年12月23日号