〈2年ぶりに開催される「YOSHIKI CLASSICAL」では、オーケストラとともにピアノを演奏する〉

 僕の中では、X JAPANも「CLASSICAL」も、基本的には常に実験と挑戦、試行錯誤を繰り返しているんです。今回はオーケストラというかたちでどこまでできるのかという挑戦ですね。

 僕にとっての日本は、やはり帰ってくる場所でしょうね。ロサンゼルスに20年以上住んでいても、やはり落ち着くというか。

 海外に行くミュージシャンには、外国人のような音を出したいという人も多いです。だけど僕は、日本人として行って、自分のスタイルのまま、向こうで戦いたかった。

 海外にいればいるほど、日本人としての意識っていうのは強くなってくるような気はします。なんといっても、「X JAPAN」って、国の名前を背負ってるバンドですからね。どこの出身か、誰にも聞かれないですからね(笑)。

〈YOSHIKIの“戦い”はまだ続いているのか〉

 やっと土俵に立てたみたいな感じなんですよ。20年前は、たとえばキッスと僕らが同じところに立つということ自体、あり得なかった。今も同じところに立ってるわけではないんですけど、コラボしたり、交流を持てるようになった。これからは、その土俵で戦っていかなければならないのかもしれませんね。

〈11月のロックイベント「クラシックロックアワード」では、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックなど、この日のために世界中から集まった伝説的ロックスターたちと並び、唯一の日本人アーティストとしてピアノ演奏を披露した〉

 できれば客席で見てたかったんですけど(笑)。まだまだ僕は、そんなレベルにきていない。修業の身なんです。あと10年ぐらいで、その中に堂々と出ていけるようにしたいんですけどね。

 最近は、マリリン・マンソンとも一緒に仕事をしましたが、「僕もピーター・クリスが好きだったんだ」みたいなことで盛り上がりました。今回のロックアワードも、ジーンとしゃべっているときもそうですが、やっぱり僕はずっとロック少年なんだなと、あらためて感じます。

 11歳のキッスの衝撃、ロック少年だったころの気持ち、それをまだ持っていられるから、苦しいことも乗り越えてこられたし、いまだに楽しくロックできる。そんな気がします。(構成 本誌・太田サトル)

週刊朝日  2016年12月2日号