果たして埋蔵金の行方は… (※写真はイメージ)
果たして埋蔵金の行方は… (※写真はイメージ)

 NHK大河ドラマ「真田丸」がいよいよ佳境に入ってきた。このドラマが描く豊臣家の滅亡にまつわる不思議な伝説がある。曰く、かつて太閤秀吉が採掘を進めた鉱山の廃坑道に、豊臣家の運命を託された莫大な黄金が眠っている──。日本全国に何百何千と残る埋蔵金伝説の中でも「埋蔵額ナンバーワン」と言われる有名な伝説だ。朝日新聞尼崎支局の宮武努記者が、その出どころを探ってみた。

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 埋蔵金マニアたちの間で「日本3大埋蔵金」と呼ばれる三つの伝説がある。かつてテレビ番組で一世を風靡した群馬県の徳川埋蔵金、戦国時代に北関東で勢力を誇っていた結城家が隠したとされる結城埋蔵金、そして、兵庫県猪名川町の多田銀銅山で語り継がれる秀吉埋蔵金だ。

 日本トレジャーハンティング・クラブ代表の八重野充弘氏(69)によると、このビッグスリーは「伝説の知名度や関連資料の多さ、埋蔵額の大きさ、本気で探索した人の多さなどの点で群を抜いている」という。

 秀吉埋蔵金の場合、特筆すべきはその額だ。なんと4億5千万両。「当時作られた天正大判の金純度(72~76%)をもとに含有する金の量を試算すると5千トン以上になります」と八重野氏。骨董的価値を無視したとしても、今の金相場なら20兆円を超す規模だ。

 伝説によると、この莫大な黄金が隠されたのは秀吉晩年のことだ。病に伏した秀吉は死の間際に豊臣家の行く末を案じ、大坂城にためこんでいた黄金の一部を隠すことを思い立つ。隠し場所に選ばれたのが、大坂から比較的近く、豊臣政権の財政を支えていた多田銀銅山。秀吉は配下の武将、幡野三郎光照(はたのさぶろうみつてる)に命じて銀銅山を閉鎖し、アリの巣のように無数に掘られた坑道の奥に黄金を運び込んだという。

 伝説の舞台である猪名川町銀山地区周辺の山々を歩くと、今も山肌のあちこちに廃坑道の入り口を見ることができる。主要な坑道には、案内板と立ち入り禁止の鉄格子が取り付けられているが、山道から外れた場所で人知れず口を開けたままの坑道も多い。試しに中に入ってみると、内部は枝分かれし、至る所に深さ数メートルの縦穴が口を開け、おまけに落盤の跡もあちこちにあって危険この上ない。猪名川町教育委員会によると、坑道の総数は周辺自治体を含めて推定2千カ所以上。とても探索しきれないような数だ。

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