作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。韓国・朴大統領の知人女性が、国政に介入したとされる疑惑から混乱が生じている今、北原氏は「慰安婦」女性たちの身を案じる。

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「ムーダンに支配されていたのか!」という衝撃に韓国が揺れている。全国各地の抗議集会には30万人もが集まっているというが、「国民を無視している」との怒りの熱気を、私は少し羨ましく思った。日本の私たちも、かなり無視されていると思うが、こんなにも大人しいのは何故。しかもこっちのほうが、ムーダンより巨大で黒い勢力に支配されてそうで怖いんですけど。日本のメディアの反応は、「日韓『合意』が反故にされたらどうする!?」という懸念の声が目立つ。まるで自分たちも被害者だ、みたいな言いっぷりだ。

 先日、日本軍「慰安婦」にさせられた女性たちが、来日した。インドネシア、東ティモール、フィリピン、韓国の当事者と支援者が東京と大阪で話した。インドネシアやフィリピンなど、政府が日本に強い態度を取らず、被害者たちを無視してきた国の女性たちにとって、あの「合意」で手を打った韓国政府への絶望は深い。

 被害者がこれまで日本に求めてきたのは、たった三つだ。謝罪と教育と賠償。謝罪とは、首相の手紙や電話ではなく、日本の国会で正式に行うこと。教育とは、同じことを繰り返さないために行うこと。賠償とは、被害者の尊厳回復に必要最低限のこと。三つがなされてこそ「解決」だと訴えてきた声を無視したのが、あの「合意」だった。

 
 来日したフィリピンのエステリータ・ディさんの話が忘れられない。1944年、日本軍がトラックにフィリピン人男性をぎっしり乗せ、広場にやってきた。ゲリラと見なされた男たちは、その場で首を切られ殺された。追い詰められていた日本軍の狂気は留まるところを知らなかった。彼女は物陰に隠れていたが軍人に見つかり、髪の毛を引っ張られ慰安所に連れていかれた。抵抗したら両耳を掴まれ頭を打ち付けられ気を失った。14歳だった。

 70年以上前の話だ。それでも、その体験を話すのに、どれだけの苦痛を伴うだろう。彼女が声をあげたのは、91年に韓国の女性が声をあげ、それに呼応し多くの女性たちが「私たちは一人ではない」と日本政府に正義を求め始めたからだ。四半世紀の闘いを経て、あの「合意」後、女たちの声はさらに大きくなっている。そのことを、私たちは真摯に受け止めなくてはいけない。

 朴大統領に、被害女性たちの声は届かなかった。

 約40年前の8月15日、朝鮮にとっての独立記念日に、日本の交番で盗まれた拳銃で父親が狙われ、その混乱の中、流れ弾で母親が亡くなった朴大統領。孤独と不信の人生のなか、莫大な富と血みどろの権力を手にした父親と同じ場所に立った彼女に、権力の座はどのように見えていたのだろう。なぜ、そこに座りたいと思ったのだろう。女として、「慰安婦」女性たちをどのように見ていたのだろう。

 朴大統領が招いた混乱が、これ以上「慰安婦」女性たちを苦しめないように何ができるだろう。自分たちが選ぶ政治家に自分たちの首を絞められるような経験を、これ以上しないために。韓国の人々と共に考えたい。

週刊朝日  2016年11月25日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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