法定に沿った制度に加え、介護休暇は年5日以上(有給)とし、失効した有給休暇を介護や看護に使えるように積み立て制度を創設。モバイル機器を使い、場所や時間にとらわれずに働けるテレワークもとりいれた。業務担当を原則2人とし、カバー態勢を整えた。

 父(69)に胃がんが見つかったのは約12年前。「余命半年」と宣告された。「畳の上で死にたい」との願いをかなえようと、母と自宅で介護を始めた。

 当時は独身で、転勤の多い大手企業で働いていた。仕事後の真夜中に高速道路を走り、横浜の実家へ戻る日々。相談できる人がなく、ヘルパーに頼める買い物なども自分でやり、介護を背負い込んだ。横澤さんはこう振り返る。

「夜遅くに帰り、父の世話をして仮眠。朝3時に起きて洗濯し、朝食を準備して5時に職場へ向かう毎日でした。点滴を打ちながら、介護を続けました」

 父は手術を経て奇跡的に回復したが、歩行が困難となり、要介護3に。半年後に実家へ近い事業所に転勤できたが、今度は母が体調を崩した。

「このままでは、家族みんながダメになる」

 有給休暇を使い果たした横澤さんは、介護休業の取得を申し出た。しかし、上司から「前例がない」「売り上げに影響して困る」と突っぱねられた。管理職で組合の助けも借りられず、30代前半で退職した。

 職場で起こった上司との出来事が、今でも忘れられないという。

 会議中、携帯電話に「父が危篤」と知らせが入った。中座したいと告げたが、返ってきたのはこんな言葉。

「今帰っても、間に合わないでしょう。君の発表は代わりがいないから、困る」

 耳を疑ったが、結局終わるまで退席できなかった。

 会社をやめてから、父の世話を続けつつ、介護に理解がありそうな会社へ転職した。ほっとしたのもつかの間、入社数カ月後に転勤の打診が来る。「話が違う」と反発したが、入社から1年もたたずに再び離職に追い込まれた。

 横澤さんはこう話す。

「短時間勤務や有給休暇取得など、制度を整える企業は増えました。ただ、実際に使えないと意味がない。今の会社では、介護や育児で時間に制約があっても力を発揮できるしくみ作りを任された。ニーズを掘り起こすため、社員一人ひとりの聞き取りから始めました」

 実体験を生かした地道な取り組みが評価され、仕事と家庭の両立支援に取り組む企業として表彰されるまでになったという。

週刊朝日 2016年11月4日号より抜粋