好対照な性格で長年コンビを組んだ平尾氏(右)と大八木氏 (c)朝日新聞社
好対照な性格で長年コンビを組んだ平尾氏(右)と大八木氏 (c)朝日新聞社

「まさかと思った。常にそばにいたし、彼に出会っていなかったら、俺は存在しなかった」

 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(55)は沈痛な様子で話した。

 日本代表の主将、監督を務めた平尾誠二氏が10月20日、死去した。53歳という若さだった。

 華麗なプレースタイルで愛された平尾氏は、京都・伏見工業高校3年時に全国優勝。同志社大学では史上初の大学選手権3連覇を果たし、神戸製鋼では日本選手権7連覇。栄光に彩られた競技生活にダンディーな風貌も相まって“ミスター・ラグビー”と称された。

 高校、大学、神戸製鋼、日本代表と長きにわたって先輩後輩の間柄だった大八木氏が最後に平尾氏と会ったのは去年の夏前だった。

「具合がよくないのは知っていたけど、やせてはいなかったし、『大八木さんは大丈夫なん?』って、逆に温かい言葉をかけてくれたのを覚えてるな」

 神戸製鋼の7連覇が始まる1988年度、前季まで主将を務めた林敏之氏の後継を決める際、大八木氏の名前が挙がったという。

 大八木氏は平尾氏を推し、直接こう言った。

「悪いことや批判は俺が引き受けるやん。おいしいとこ持ってったらいいんちゃうん」

 平尾氏は答えた。

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