北原みのり「電通過労自死で蘇る記憶」
連載「ニッポン スッポンポンNEO」
月100時間以上の残業を強いられた彼女と、当時の自分を比べるつもりはない。ただ、残された彼女のTwitterを読むと、職場の“オジサン”(ご本人がそのように書いていた)から、女子力がないとか、化粧のことや、見た目のことなどについて叱られたり、からかわれたりしていたのが伝わり、胸がざわついた。
彼女を責め、からかい続けた“オジサン”は、私と同世代の可能性は高いのではないか。20年前のマスコミ塾で男の怒鳴り声に、最も従順に従っていた男の子たちの顔を思い出した。負の連鎖が、そう簡単に途切れるはずがない。こうやって、日本社会で男は男を育ててきたのかもしれない。こうやって女は男の価値の中で「うまくやる」ことを求められ、そうできない女は潰されてきたのかもしれない。そして、そういう社会のつけを払わされるのが、残酷なことに、「うまくやれない」と、自分を責めてしまう側なのだ。
テレビのなかでは今日も、男たちが女の容姿や女子力をからかったり、指導したりしてる。楽しげに。でも、もういい加減、笑えない。もういい加減、疲れた。女たちの声にならない声が、叫びのように聞こえてくる。
※週刊朝日 2016年10月28日号
おすすめの記事
あわせて読みたい