そうした事実を今の天皇はよく知っている。国民が「摂政にすればいい」「臨時代行を認めればいい」といくら言っても解決しない。天皇自身が納得できないと言っているわけだから。

 天皇が政治的な発言をするのは控えなければいけない。しかし、皇統を守るという一点においては、賛成、反対、それが結論になるかどうかは別にして、意思表示をしても構わないと私は思う。

 天皇は、内閣の助言と承認があって国事行為を行う。ところがこの件について、内閣は知らぬ顔をしてきた。だから天皇は最後の手段として、メディアでメッセージを流した。

 あの中で大事なことはたった1行。最後の「国民の理解を得られることを、切に願っています」というくだりではないか。様々な政治的な制約はあるにせよ、私(天皇)は国民と直接手を結びたい、その気持ちを理解してほしい、という趣旨である。

 天皇は、天皇制の下で太平洋戦争の開戦を選択したことに疑問を持たれている。だから、追悼と慰霊の旅を繰り返してきた。その天皇が今、私たちに向かって「私の考えを分かってください」と言っている。これは歴史的に極めて大きな意味を持っている。

 考えてみてほしい。私たちはなぜ、戦後71年を経た今も、太平洋戦争のことを語り続けているのか。あの戦争をこれほど熱心に語っている国は他にない。

 それは、国民の間に「釈然としない空気」があるからだ。私たちの国はなぜ、特攻や玉砕をやったのか。日本は、人の命を何とも思わないような戦争をするような国家だったのか。そんな疑問が釈然としないから、今後も、私たちは語り続けることになる。

 天皇もそれを知っている。天皇にすれば、あの「お言葉」を出すのに相当の覚悟が必要だったはずである。私たちの社会がこの問題の底流を理解し、本質をくみ取ることができるかどうかが問われている。

 そのための補助線の役割をはたしてくれる一人が、田中角栄だ。私たちは田中角栄を通して、あの戦争を、昭和の姿を、そして戦後民主主義を問い直すことができる。田中の存在は、私たちが歴史を考えるうえでの補助線であり、田中自身が、その役目を引き受けてくれていると考えられる。

週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋