田中は、昭和の偽善を見事なほどひっくり返して見せた。あらゆる権威をひっくり返した。彼のそうした言動に今の私たちが何かを感じるからこそ、ブームが起きているのではないか。

 もし今、田中角栄が生きていたなら、彼は三つのことをはっきり言うだろうと、私は思う。

 まず、「安倍(晋三=首相)君、そんなのダメだよ。何を言ってるんだ。憲法を変える、自衛隊がよその国へ行く。君、自民党ってそんな政党じゃないぞ。自民党というのは結党以来、憲法改正を掲げてはいるが、旧憲法に帰れってことじゃない。だったら変えないほうがいい」──そんな声をあげたと思う。

 それから、天皇の生前退位の問題。彼は「天皇だって人間なんだよ。いつまでも天皇でいるってわけにはいかないんだ。辞めたいって言うのを認めるのは当たり前だろ」と言うだろう。田中の庶民的な地肌から出る表現である。

 もう一つ。「おい、アメリカをあまり信用してはいかん。ロシアもひどいけど、アメリカもひどいぞ」と言ったと思う。

 田中はロッキード事件で、その地位を米国に追われたと言えるが、それだけが理由ではない。彼は、「物量的な幸せ」というものを日本人に定着させようとした。だが、物量がどれほど満たされても、新幹線がいくら速く走っても、私たちが家を何軒持っても、背広を何着持っても、幸せとは限らない。幸福とは、もっと精神的なものである──ということに、政治家を離れてから気づいたと思う。その意味からも米国を語るのではないかと思う。

 さらに、大事なことを指摘しておきたい。日本のエスタブリッシュメントは、田中にかなり非礼な態度をとっていると思う。

 例えば、日中平和条約締結関連の記録集を読むと……1972年、田中が訪中して周恩来首相と対談するくだりで、田中が「日ソ中立条約」と言うべきところを「日ソ不可侵条約」と言い間違え、品のない表現でソ連の違約を責めている。そういう議事録を公表するなら、「中立条約」と直せばよい。田中があまりにもかわいそうだと私は思う。

 まるで田中は無知なんだ、教養がないんだと笑っているかのようだ。そういう目に見えない形の“田中いじめ”は、資料の中から浮かびあがる。

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