この一大イベントを仕切るのが、卒業10年ごとに回ってくる「当番年」の塾員たち。全体を見るのが卒業40年のベテラン、中心となる番頭役は30年、20年がその下で動く手代、10年は見習い中の丁稚、といったところか。約千人がボランティアで参加する。「マニュアルなんてない。すべて先輩たちからの口伝」と、ある塾員。つまり10年目は20年目を、20年目は30年目の働きぶりを見ながら、10年後の当番年に備えるのだ。

 もう一つの大きな節目が卒業25年。3月に日吉キャンパスで行われる卒業式に、卒業25年の塾員が大学から招待される。それに合わせて該当年度の塾員が自発的に「記念事業」を計画するのだ。卒業式直前にホテルニューオータニ(東京都千代田区)で開催する大同窓会の企画、塾への寄付金集めが大きな柱となる。この記念事業を成功させるために重要なのが、いかに多くの同期の所在を明らかにするか、だ。各学部の代表幹事を決め、SNSを活用したりイベントを開催したりして盛り上げながら、名簿の整備を進めていく。約300人が集まった1992年三田会の同窓会はそのイベントの一つ。「92の日」として、東京、大阪、名古屋、上海などで同期が集った。

「来年3月の大同窓会には、2千人の同期が集合することが目標です」と、1992年三田会実行委員会で委員長を務める、老舗のハンドバッグ専門店、銀座大黒屋社長の安西慶祐さん。寄付金は塾生への奨学金として3千万円が目標だ。額は塾から指示があるわけではなく、先輩の事例を参考にしながら設定。寄付をすると大同窓会の様子などを収めた記念誌がもらえる。

「この記念事業でもっとも大切にしたいことは、一人でも多くの懐かしい仲間の顔を思い出し、集まること。仲間とつながる楽しみや喜びを共有することが、結果寄付につながるのでは」(安西さん)

 卒業20年で連合三田会大会の運営に関わり、25年でさらに同期や塾との絆を深め、その5年後の卒業30年では連合三田会大会を中心になって取り仕切る。年齢にすると40代から50代。「卒業25年記念事業に参加したら学生時代には知らなかった同期の友達が増えた」「仕事で人脈の重要さを実感する時期に、信頼できるネットワークが広がる三田会は貴重な場」と、この年代だからこそ痛感できるメリットを知り、塾員たちはその後も熱心に参加し続けるのだ。

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